Renovation Interview 2009.3.20
太郎吉蔵からの問い──都市は誰のものか?
[インタビュー]五十嵐淳 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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「徹底的な快適さ」と「人間のパワー」
倉方 まちづくりや街のリノベーションにこれまで関わってきたことはありますか。その起爆剤としてこういうものをつくって欲しいというように。
五十嵐 建物の依頼はないのですが、僕は田舎の街に住んでいるので、商工会青年部に所属していたことがあります。その頃にワークショップのようなことをやったことがあります。自分の街を歩いて、写真を撮って気になることをあげるというようなフィールドワークでしたが、あまりよい成果には結びつかなかった。普段、自分の街を歩くことは少なくて、僕以外の青年部員の人たちは、おもしろがっていましたが、その後がつながらなかった。僕自身、どうつなげばいいのかその術を知りませんでしたし、続けることができなくて残念に思っています。
倉方 いま、地方の街の人口が減り元気がなくなっていくなかですべての人に効く特効薬はないとしても、なにか可能性としてとらえていることがあれば教えていただけますか。
五十嵐 僕がいま住んでいる、佐呂間町に戻ったのが25歳くらいの時なので、それから10年以上たちます。そのあいだに気付いたのは、田舎は単位6,000人くらいの小さな規模で成立しているということです。役所があって、町長がいて、町民がいる組織です。それくらいの規模の組織は身動きしやすいはずで、なにかアイディアがあって指揮する人を説得できれば、いかようにでもなると思います。それから、そもそも観光などではなく、街で暮らす人がとくにかく快適に暮らせるようにお金を使ったら良いのではないかと思っています。その場が徹底的に快適になれば、まずそのことが価値になります。そして、その魅力に気付いた人たちがもしかしたら移ってくるかもしれない。単純にインフラの整備でも良いし、楽しくなるきっかけでも、公園でもいいのでやれたらいいのにと思います。
倉方 まっとうな意味でのコミュニティ論ですよね。最適な単位があって、そのなかがうまく機能していくことが基本であると。
五十嵐 究極に幸せな状況は、なんでもいいのでまずつくってあげる。それに気がついて利用し、楽しむというくらいは人間は誰でもできます。わざわざ全員の同意をとって進めなくても、良いものは良いのでつくってあげれば、使い手にとってはありがたいはずです。
それから、田舎街に住んでいて思うのは、街を徒歩で歩く人がゼロに等しいということです。僕の事務所には、夏にオープンデスクとして結構な人数の学生がやってくるのですが、事務所とコンビニのあいだをぞろぞろと行き来する彼らの姿が、そのシーズンの風物詩になっているほどです。周りの人は、今年も始まったねと言いますが、彼らは歩かざるを得ない状況で生活しているだけです。街に物理的に人が溢れるとじつに賑わうんです。人間はそういうパワーを持っていて、どんな寂しい街でも人間が歩いていたり、そこらへんで座ってなにかをしていると、建物が古くても街の活気は失われない。滝川も歩いている人は、ほとんどゼロに近いですが、歩いていけるエリアにすべてを集約してしまう計画があると、商店街も成立してくるのかもしれないなと、田舎にいて思います。歩かせるというのは地方都市では有効だと思います。
五十嵐淳氏
「住民/市民」という問題
倉方 建築家が滝川市でできることはどんなことでしょうか。先日の五十嵐威暢さんへのインタヴューでは、人と場所のどちらを残すかを考えた時、威暢さんにとっては、圧倒的に場所なのだなという印象を受けました。人が交代したとしても、場所の良さは残るからです。そのことに意識的だからこそ、地元の人にこだわらず積極的に外から人を呼び寄せているのではないかと。
五十嵐 北海道では、それぞれの街に愛着をもって住んでいる人は必ずしも多くはないかもしれません。いま、そこに住んでいるのは、たまたま生まれ育ったとか、家業がそこにあったからという人が多いのではないでしょうか。
倉方 人と場所の唯一性を比べると、人が偶然の条件で住んでいるという意識を持っているのなら、風景や場所のほうに価値を見いだせます。そういった場所の価値を道外の人が来てくれて感じ取ってくれたほうが、この街にとっては意味があるということだと言えますね。これが東北や北陸、京都では、絶対こうした話にはならないと思います。東京の下町もそうでしょう。そこに住んでいるのはたまたまなわけですが、そこに住んでいる人たちは、たまたまではないと言う。住んでいるだけで自分たちのものだと考えていると思います。でも、北海道はある意味、住んでいる人自身もその偶然性を認識している。そこまで論理で考えて、場所の価値について建設的に話せる地盤が成立しているのは、北海道の特徴のひとつだという気がします。
新堀 つまり、滝川の風景は滝川市民だけのものではない。市民がまちを本当に自分のものにするためにこそ、ただ住んでいるだけでなく、その価値に対する積極的な働きかけが必要ということですね。
たとえば前川國男は一生涯「公共建築」をつくり続けてきましたが、前川さんがつくるエスプラナード(広場)に、彼が考えたように「市民」は集まってこなかった。つまり彼の想定していた「市民」はずっと不在だった。ある種のコードトレーニングによってはじめて「市民」(=シチズン)になりうることを前提とした西洋の社会の思想と、住んでいれば市〈民〉(=オキュパント)と自動的に考える市民と住民のあいだに区別がない日本社会の齟齬だと思います。いまのお話にもそれと近いところがあると思いました。
前川さんの思考の線上にはその場所に居住しない「市民」という概念も考えられるわけです。その意味では、今回の《街》のプロジェクトの価値が、滝川市〈民〉が「市民」になるトレーニングとして、問題を投げかけてくれるとすれば面白いことが起きるかもしれない。「マイ・カップ」というプログラムが、滝川に住んでいないけれど滝川の「市民」になりたいという人を誘致するベイト(餌)になるかもしれない。カップを買って街を支え、変えるのに協力した人と、そんなこと知らないと言っている滝川に住んでいる人では、どちらが滝川「市民」と呼べるのかという問題が提示できるかもしれないですね。
しかしそれ以上に、そういった「市民」が居住の場所を超えてつながる契機のデザインとして、この「マイ・カップ・サポート・プロジェクト」を応援したいです。»
[2008年12月27日、新堀アトリエにて]
五十嵐淳 Jun IGARASHI
1970年生。建築家。五十嵐淳建築設計主宰。作品=《矩形の森》《風の輪》《トラス下の矩形》《大阪現代演劇祭仮設劇場》《ANNEX》《原野の回廊》《光の矩形》ほか。 http://jun-igarashi.web.infoseek.co.jp/

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