Renovation Interview 2009.3.20
太郎吉蔵からの問い──都市は誰のものか?
論考]倉方俊輔
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「郷土」のリノベーション|倉方俊輔
場所は誰のものか。「場所」という言葉がニュートラルに過ぎるとしたら、「郷土」は誰のものか。これは困難で深い問いだろう。
「アートチャレンジ滝川」をめぐる五十嵐威暢さんの興味深い取り組みは、伺うほどに、彫刻家としての五十嵐威暢さんの姿勢に重なるものだった。かつての建築家のように、あるいは一般的なグラフィックデザイナーのように、白紙の上に絵を描き始めるのではなく、目の前の素材と向き合い、やり取りして、形をつくり出す。理想的な形は、本来そのモノに内在していた質を初めて取り出す。過去に原点があるわけではなく、それ自体が原型となるべく整えられていく。「太郎吉蔵」への関わりは、そのような点で五十嵐威暢さんの彫刻に重なって見えた。
建築も彫刻と同様に一品生産であり、周囲に接続している。そうした当然の事実を念頭に置いた時、新築もリノベーションも互いに浸透可能となるはずだ。「太郎吉蔵」はそのようなものだ。交換不可能な存在として、その質が再発見され、新たに使われ始めた。そのように素材を扱えば、リノベーションは、ひとつのモノから周辺、周辺から地域、地域から行政単位、行政単位から国家にまでつながっていくことだろう。風景や自然といった原風景も、そんな置き換え不可能で、新たな発見に開かれた存在といえるかもしれない。
五十嵐威暢さんのお話をお聞きして胸にあふれたのは、建築=モノを活かしていく希望だった。こんな時代だからこそ、遠くに夢を投げることが必要だろう。しかも、それはあるべき方向に投げられていると感じる。
「郷土」にも始まりがあり、書き換えが可能である。だが、置き換えることはできない。「アートチャレンジ滝川」のプロジェクトは、そのような視点に立った「郷土」という概念のリノベーションにまでつながるのではないか。それを「新しさ」という伝統がある北海道ならでは、と言ってしまうと単純に過ぎるだろう。場所はそう簡単に書き換わるものではないし、その困難さえ、人間という存在にとって必要なものかもしれない。ただ、こうしたチャレンジなしには、おそらく「場所」も「郷土」も、なし崩し的な希薄化を免れない。

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