Renovation Interview 2009.3.20
太郎吉蔵からの問い──都市は誰のものか?
[インタビュー]五十嵐威暢 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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五十嵐正と《街》
倉方 こうした活動のなかで、「マイカップ・サポート・プロジェクト」などもやっていらっしゃるのですね。五十嵐正(1912-1981)さんと《街》に出会ったきっかけを教えてもらえますか。
五十嵐 五十嵐太郎吉には子どもが10人いて、五十嵐正はその六男。私の叔父です。自宅は札幌だったのですが、仕事で行った帯広に居ついてしまった。昔は、帯広から札幌に帰ろうとすると、富良野線に乗って、滝川で函館本線に乗り換える手段しかなかったので、その道中、叔父は滝川にある我が家へ立ち寄っていました。僕は工作少年でしたから叔父の話を楽しみにしていましたし、叔父もそれを知っていました。また、母親も普請好きで、しょっちゅう手帳に理想の家の平面図を書いている人でした。ですから、叔父もうちに来て建築の話をするのはかなり楽しみだったようです。横で話を聞いていて、僕は強い影響を受けました。ただ、叔父の設計した500棟を超える建築の大半は帯広にあったので、最近まで実物を見る機会がありませんでした。
あれから何十年も経ち、数年前に初めて帯広を訪ねました。その際に知人が、叔父が設計した《街》という喫茶店に連れて行ってくれたのです。当時の最先端の素材と試みがなされた店内に入った途端、その状態の良さに僕は非常に驚きました。
倉方 五十嵐正の実作と、小さい頃に触れていた叔父さんの像を、あらためて考え合わせた時に共通点や気づいたことはありますか。
五十嵐 《街》のカウンターの上には、ブラウンのコーヒーミルが6つか7つ並んでいて、異なる豆のにおいが影響しないように使い分けられていました。1973年の竣工から30数年を経て、いまも使われている。当初となにひとつ変わっていない。これには驚きました。コーヒーミルは、日本に輸入された直後に買っているようなので、そのような情報をどうやって手に入れていたのかが謎ですが、デザインに敏感というか、こだわりがあったのでしょうね。設計スタッフの人たちも叔父が建築雑誌を見ていた記憶がないようで、新しい情報をどこでどのように手に入れていたのかがわからないと言うのです。
喫茶店はオーナーの女性がひとりで30数年経営しているのですが、とても大事に使ってくれていて、すべてがオリジナルのままです。頼まれたから設計しただけで500棟を超える膨大な数の建築を設計した叔父の人柄が、この喫茶店のコンディションにも現われているのかもしれません。あのダンディだった叔父の面影とデザインや人に対するこだわりのようなものが重なって見えて来ます。
ところが、それから何度か訪れた後のある日、彼女から「体力がついていかなくなったので閉業したい」と聞きました。とっさに「店の内装、什器、備品一式をもらえないか」とお願いしたところ、快諾を得ました。これをなんとか太郎吉蔵の横に再生させたいと思っています。完全な移築ではなくて、使えるものを利用して新しいものにしたいと思っています。設計を誰に依頼しようか考えたあげく、今回は道内の建築家にお願いしよう、思い切って若い人に頼もうということで建築家の五十嵐淳さんにお願いしました。
計画は始まっていますが、正直に言うとNPOのなかでは反対者が多いのです。すでに太郎吉蔵という価値ある資産を抱えているなかで、また資産を増やすのは負担ではないかという意見が出ています。一方で最近は、やはり太郎吉蔵は素晴らしいので、蔵をさらにもりたてる意味で喫茶店をつくり、NPOの活動を続けていこうという方々も現われています。そのような状態で、募金活動もしています。それが「マイカップ・サポート・プロジェクト」です。カップを置くための棚を、1個分1万円で買ってもらおうというものなのですが、これは伸び悩んでいます。しかし、ほかにはあえて募金活動はしません。本州に住んでいる滝川出身者や、滝川を知っている遠隔地の人からの申込もあります。身近な知り合いばかりを誘うのではなく、地理的にも広がりが出てきていることはよいと思い、そっとしています。現在の金額は必要な金額の4分の1に満たないのですが、気長に取り組むことにしています。いつか機運が高まれば実現するかと。
物語のあるまちづくり
五十嵐 蔵以外にも、A.C.T.が提案しているプロジェクトがいくつかあります。そのひとつは滝川公園という昔からある公園の再生です。44年ぶりにそこへ行ってみると、10年かけて植生が自然に還っていました。橋が5カ所くらいにかかった池があるのですが、モネの《睡蓮》の絵のように癒される空間に変わっていた。昔は木も小さかったのに、いまは巨木になっていて素晴らしい。そこを新しい文化施設に変えるプランを滝川市に提案しています。市は肯定的に受け止めてくれてはいますが、財政的に厳しいのが現状です。チャールス・イームズの孫で映像作家のイームズ・デミトリウスさん(ロサンゼルス在住)もたいへん気に入ってくれて、今夏にここで子どもたちとワークショップを開催する話も進んでいます。
滝川公園
撮影=酒井広司
もうひとつは、蔵のそばにある古いホテルの再生プランです。このホテルは、私の親類が経営していて「hotel miura kaen」と言います。外から人が来てくれて、街が活性化するためには、気持ちのよく泊まってもらうホテルが必要です。ところが、このホテルは皇族方も泊まる地方の由緒あるホテルにもかかわらず、現在は見る影もない。なんとかしたいと思い、小さなデザインショップをホテルの中につくりました。「designshop takikawa」で、これは早野正寿さんという若いデザイナーの仕事です。とにかく場違いなものをつくって刺激を与えたいと考えました。小さな真っ白い空間で、世界のグッドデザインプロダクトを販売するショップです。この小さな成功の次に、建築家の飯田善彦さんにお願いしてホテルの再生プランを提出しました。その結果、1年前にレストランを大改修しました。「Il cielo(イル・チエロ)」というイタリアンレストランで、これがなかなかうまくいっています。応援団のメンバーでもあるフードディレクターの奥村文絵さんの協力で、地元農家との直取引、メニュー開発やシェフの再教育もして、気持ちのいいレストランになりました。今後は客室を改修するのか、あるいは新館をたてるのか、かなりの大ジャンプになるので、慎重に検討が続いています。
designshop takikawa
撮影=酒井広司
Il cielo
撮影=酒井広司
新堀 お話を聞いていて、さいたま市の別所沼に「ヒアシンスハウス」というものがあることを思い出しました。それに近い物語性があると感じます。
この小さな建築の構想を描いた立原道造という詩人であり建築家でもあった人は、結核にかかって24歳で夭逝してしまうのですが、「こんなアトリエで、独立してやりたい」と夢想してスケッチを描いたのです。彼は丹下健三の少し先輩で、彼の詩のファンと彼の価値を認める建築史系の人が募金を集めて、その建築されなかったスケッチを「再現」しました。とてもコンパクトで良い建築です。今回のお話もそのような広がりを持って、人々をつなぐことになるといいなと感じます。
倉方 建物や街をリノベーションしたり、保存して残していくということは、長い時間のなかで考えていくことです。もちろん、それをすぐに行なわなければならない状況に追い込まれることはあるでしょう。けれども、リノベーションや保存の方針を決めたり、実行していくのに時間がかかる。これは本来、無駄ではなくて、必要なことのように感じます。五十嵐さんたちが、あまり拙速に事を運ばず、事態を見守り続けているのには、時間をかけて徐々に広がっていったもののほうが、今後の持続的なNPOの活動を支えるという思いがあるではないでしょうか。
五十嵐 そもそもが100年プランですから(笑)。皆さん、「まちおこし」と言うのだけれど、僕らはまちおこしという意識はたいして持っていません。そんなことはできないと思っています。僕らのしていることは「人づくり」。1人でも2人でも、志のある若い人が出てくれたら、その人たちがやることで、僕らはきっかけを用意する役です。50年、100年の未来ある人たちにやってもらうことだということを言っています。
倉方 残された時間が少ないから急ぐというのではなく、だからこそ遠くに投げるきっかけをつくるのが大事だということですね。
五十嵐 北海道は「Boys Be Ambitious」で、大志を持った人はたくさんいると思うのですが、そういう人たちは東京や海外に出てしまっていて、残っている人は少ないのかもしれない。意外と100年プランのようなものはないのです。50年、100年、あるいは200年でも良いのだけれど、志の高い、ガウディのサグラダファミリアのようなプランをどうしてつくらないのだろうと思います。北海道には大きな夢があるようで、ない気がします。壮大な夢があれば、そこへ皆が結集していくと思うのです。»
[2008年12月21日/イガラシアトリエにて]
五十嵐威暢 Takanobu IGARASHI
1944年生。彫刻家、デザイナー。著書=『あそぶ、つくる、くらす──デザイナーを辞めて彫刻家になった』『デザインすること、考えること』ほか。http://www.igarashistudio.com/

新堀学 Manabu SYNBORI
1964年生。建築家。新堀アトリエ一級建築士事務所主宰。作品=《北鎌倉明月院桂橋》《笹岡の家》《小金井の家》《天真館東京本部道場》。著書=『リノベーションスタディーズ』。共著=『リノベーションの現場』『建築再生の進め方』(2008年都市住宅学会賞著作賞)。2007年第一回リスボン建築トリエンナーレ日本チーム参加出展。

倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
1971年生。建築史家。著書=『吉阪隆正とル・コルビュジエ』。共著=『伊東忠太を知っていますか』『吉阪隆正の迷宮』『東京建築ガイドマップ──明治大正昭和』ほか。http://kntkyk.blog24.fc2.com/

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