Renovation Interview 2008.3.25
建物の保存/運動の保存──保存運動のサステイナビリティをめざして
[インタヴュー]多児貞子+岩本毅幸 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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東京都文京区に建つ安田邸は、3年におよぶ修理期間を経て、2007年4月から一般公開を開始しました。大正8年につくられたこの近代和風建築が、いかにして残されたのか。今後の運営についてどのようなことを考えているのか。管理運営を任されているNPO法人「たてもの応援団」の多児貞子氏と岩本毅幸氏にお話をうかがいました。
財団法人日本ナショナルトラスト保護資産
東京都指定名勝「旧安田楠雄邸庭園」
○住所:東京都文京区千駄木5-20-17
○一般公開日時:毎週水曜、土曜、10:30〜16:00
*入館は15:00まで、第3土曜は13:00から
○維持修復協力金:大人=500円、中高生=200円
○問い合わせ先:03-6303-1110(財団法人日本ナショナルトラスト)
○ウェブサイト=http://www.toshima.ne.jp/~tatemono/page004.html

安田邸が残るまでのこと
新堀学 安田邸の保存において私が非常に興味を持っていることは、財団法人日本ナショナルトラストが関わっていることです。建物の保存を考えるとき、ナショナルトラストへの寄贈は皆が期待する方法で、そのことがうまく機能した事例としてこの安田邸の保存を挙げることができます。このナショナルトラストと組んだ経緯はどのようなものだったのでしょうか。またそのことの評価はどのようなものでしょうか。
多児貞子 はっきり言って、財団法人の日本ナショナルトラストがなければ安田邸は残りませんでした。私たちが関わり始めた1996年当時の安田邸は、保存の前提として相続税問題が先にありました。95年の11月に安田楠雄氏がお亡くなりになって、それから10カ月以内に相続に関するすべての手続きを終えなければならない状態でした。10カ月というのは本当に短くて、すぐ解決できる方法は、免税団体である日本ナショナルトラストに受け入れてもらうしかなかったわけです。
新堀 寄贈をするというときに、例えば文京区や東京都といった公共団体の受け皿は考えられなかったのでしょうか。
多児 もちろん、いきなりナショナルトラストに話を持ちかけたわけではなくて、調査をしたメンバーのなかで話し合った末にナショナルトラストに打診してみようということになったわけですが、最終的にナショナルトラストという選択へ至ったのは、時間の問題が大きいです。私たちが関わり始めたとき、すでに10カ月の半分は過ぎていましたから。要するに、都知事なり区長がこうしたことに熱心で、鶴の一声で残せるということであれば、都や区といった選択もあったのかもしれません。じつは、1996年3月に私たちが安田邸を見に行ったのは、文京区弥生にあった「サトウハチロー記念館」のさよなら見学会のあとだったのです。
安田さんに初めてお会いしたとき、安田さんの家族構成もなにも知らないまま、ボランティアで調査をさせていただきたいとお願いしました。4月8日にはさっそく調査を行ない、翌月にはコピーを綴じた『安田邸調査報告書』をまとめました。
このレポートを持って安田さんをお訪ねして、いろいろとお話をするなかで、安田さんは相続税額などすべてをお話ししてくださった。私たちは、当初10カ月以内という相続の制約は知らなかったのですが、安田さんは気にされていました。まだ数回しかお会いしていないのに、私たちを信頼して下さったということで、その信頼に応えなければという気持ちになりました。
また、『調査報告書』の利活用計画のなかでは、手前の建物だけ残して奥はコーポラティブハウスにするというプランなどを提案していましたが、あくまでも安田さんがこの家を持ち続けるという前提で調査をしたのです。ところが、息子さんと次女の方は亡くなられているし、長女の方も外に出られていたので、相続放棄も考えているとのことでした。それならば、少しでもいい状態で残すためにナショナルトラストへの寄贈もありうるのではないかと考え始めました。
新堀 なるほど、即応性が必要なケースだったのですね。
倉方俊輔 ナショナルトラストにお話をされたとき、その最初の反応というのはどういったものだったのでしょうか。
多児
『千駄木の近代和風住宅──安田邸が残った』
『千駄木の近代和風住宅
──安田邸が残った』
安田邸調査報告書を収録
96年5月末に『調査報告書』を持って、ナショナルトラストに話をしたところ、翌々日には理事長が安田邸見学会にいらっしゃいました。ナショナルトラスト側から言われたことは、「家族全員の同意があること」「建物自体に文化財的価値のあること」この2つを確認できれば寄贈を受け入れますということでした。ナショナルトラストもいろいろな方面に相談をしたようで、寄贈していただけるのであれば6月中に決断をされないと手続きは間に合わないと言われました。
日本ナショナルトラストというのは、もともと英国のナショナルトラストを目標としていましたので、保護資産を持ちたいという気持ちがあったと思います。でも、都心のこうしたお屋敷を保有できるとは思ってもいなかったそうです。
96年8月に寄贈された後、まず日本ナショナルトラストがやったことは、安田邸を東京都の指定文化財にしたことです。おそらく、そのときには国の重要文化財に申請するという選択肢もあったかと思いますが、重文は修理の順番が回ってくるのにすごく時間がかかるという判断があったようです。ナショナルトラストの専門委員会では、庭園と建物を一体として名勝指定をしたほうがはやく修復に着手できるだろうということがあったようです。
文化財に指定されたのが、寄贈から1年半後の1998年3月13日でした。その後、安田さんの引越しや修復のための募金などの関係で、実際に修理に着工する2003年までにはずいぶん時間がかかりました。補助金も、当初の8割補助から最終的には5割補助にまで落ちてしまったためナショナルトラストの負担が大変で、負担金工面のために時間が必要だったのだと思います。
倉方 相続期限の10カ月という制限がなければほかのやり方があったとお考えでしょうか。
多児 むしろ10カ月という時間の期限に後押しされて、積極的な活動へとつながっていったということはあります。
新堀 修理には3年の時間がかかったわけですが、その3年間というのは、ナショナルトラストとしても足元を固めないといけないということだったのでしょうか。
多児 一番大きな要因はお金の工面のことだと思います。
一方、私どもとしては、寄贈したらそれでおしまいというわけではなくて、ずっと関わっていきたいという思いがありました。「どうぞ皆さんでお使い下さい」と言って、これだけのお屋敷と建物をくださったわけですから、その安田幸子さんをはじめとするみなさんのお気持ちにも応えないといけない。同時に、安田邸の空間にいること自体が非常に心地よいというのもありますから、ボランティアとしてここに居ることができる幸せみたいなものも感じています。»
多児 多児氏

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