Renovation Interview 2009.4.30
コモンという実験──建物をひらく可能性
論考]倉方俊輔
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リノベーションの設計方法論|倉方俊輔
たったひとつの建物でも、周囲の場所や人をつなげる力を持っている。その力は新築以上に、リノベーションを通じて明らかにできるのではないか。そんな認識が、2007年以来続けてきたわれわれのインタビューを通じて、はっきりしてきたように思う。
初回で訪れた《孤風院》は、もとは1908年に建てられた熊本高等工業学校の講堂だった。それを建築家の木島安史が引き取り、1976年に住居として移築・改造した。1992年に木島が没した後、「孤風院の会」が発足した。現在は木島を直接に知らない若い学生たちが主力になって、維持補修と、それに留まらない改修を行なっている。手を加えるごとに新たな発見があるような、対象物としての建物が存在しているから、人がつながる。開かれたリノベーションを許しているのは、孤風院そのものに埋め込まれた木島のリノベーション思想だ。それはイメージ的な「保存」へのアンチテーゼといえる。
第2回の安田邸は、1918年に竣工した質の高い和風邸宅である。財団法人日本ナショナルトラストが所有者から寄贈を受けるかたちで、2007年から一般に公開され、維持管理されている。この希有な事例を可能にしたのが、地域ネットワークとしてのNPO法人「たてもの応援団」である。運営はボランティア・ガイドなどを通じて人のつながりを生み、さまざまな催しものが地域性の明確化に貢献している。建物だけでなく、調度品や庭の木々も含め、過去から伝えられたものとして大事にする。それらを使い続けることによって、この場所で共有すべきマナーが浮かび上がる。これもまた、リノベーションの思想と言えるだろう。存在する物質に重きを置きながらも、その真価を決めつけないのである。
第3回は1934年に竣工した旧四谷第五小学校を訪れた。戦前モダニズムの傑作として建築界に知られる校舎は、閉校から10年を経た2008年に、吉本興業株式会社東京本部に生まれ変わった。会社は、まちのリノベーションとしての性格も考慮に入れて決断したのだろう。歴史をまとった建物は時に、外来者と地域をつなげる絶好の器となりうるのだ。校舎の平面計画は持株会社制という新たな業態に向いたものとして読み換えられ、竣工から現在までの良い所が重ね合わせられた改修がなされた。解体をデザインする建築家の姿勢がプログラムに一致している。
第4回では金沢のCAAKの活動を取材した。まちのリノベーションについて、共に考えたかったのである。CAAK発足のきっかけとなった《金沢21世紀美術館》や「いきいきプロジェクトin金沢」、CAAK全体やメンバーそれぞれの活動を通じて、「まち」をどう捉えるか、そこにおける単体の建築の可能性、外から来た者と内にいる者の役割あるいはその区分といった課題が議論された。
第5回は北海道滝川市のNPO「アートチャレンジ滝川(A.C.T.)」の活動に注目した。きわめて具体的な太郎吉蔵および喫茶店《街》のリノベーションと、前回までの流れである「まちのリノベーション」というテーマが重なる。置き換え不可能でありながら、新たな発見に開かれた建物とまちをどう確保していくのか。その時、たったひとつの建物も再編のキーになりえるだろう。そのためにはリノベーションを可能にするような、ソフト面の設計が大事になってくる。
そして今回、《旧羽仁・シュレム邸》で議論されたのも、まさにそうした課題だった。時間を経た建物は、内在的には次第に個人性を薄め、公共性へとシフトする契機を持っているのだろう。しかし、その転換は自然に起こるものではないだろう。なんらかのアクションが必要となる。それは物質的なリノベーションであると同時にソフト面のリノベーションであり、建築のリノベーションが、まちのリノベーションに波及効果を与えるということだ。外から来た者が、そこで重要な役割を果たすに違いない。
リノベーションの力を発揮するような、ソフト面も含めた「設計」こそが大事だという話になる。どのようなタイミングで、いかなる狙いで、どう仕掛けることが可能なのか。ここまでの6回を基盤として、今後「リノベーションの設計方法論」がさらに議論されるべきだろう。

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