Renovation Interview 2009.3.31
コモンという実験──建物をひらく可能性
[座談会]岡部明子×大島芳彦×磯達雄×新堀学
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変化する都市の姿、変わらない都市のアイデンティティ
岡部 羽仁さんはヨーロッパの都市共同体に非常に感銘を受け、日本との違いを説得力のある文章にしました。学生運動にも強い影響を与えた人です。そう考えた時、ここは、2軒の家だけなのだけれど、ひょっとして自分のできる範囲内で都市共同体の縮図をつくろうとしていたのではないかと思いました。お互い違うものなのだけれども、ひとつの都市という器にいれてそこに共同体意識をつくろうとしたのではないか。羽仁五郎(1901-1983)が住んでいた家ということで、そんな想像をしてしまいます。
この建物を建てた経緯からそんなことが発掘できれば、物語の場として、世代を超えて、シェアしていく価値を見いだせるように思います。そもそも都市とはそういうものではないですか。都市は変わっていくわけです。個々の人が少しずつ家をいじっていくうちに、歴史が重なっていくことが都市の魅力です。住んでいる人にも入れ替わりがあり、全然違う人が住んでいくけれども、そのアイデンティティは保たれている。そういう思いをこめて、この場所の物語をとらえていけば可能性がありそうですね。
羽仁五郎は、広場に価値をとらえて、論じました。彼の頭にあったのは、都市のなかで市民が意識を共有しながら、広場を舞台として活動していくという光景だったと思います。その後の日本の都市計画や建築家も、広場に対してそうした思い入れを持ちながら語っていったわけです。そういう思想が表われている場だと僕も思います。
岡部 そうした思いが自分のできる範囲内で投影され、場所として語り継がれると、建築の人だけでなく、歴史の分野の人や、運動の関係者までまきこんだ広がりになる。そういう人たちが葉山のコミュニティにもいたわけですよね。そのような進展の仕方は都市の縮図みたいで良いですね。
大島 変わっていくけれどもアイデンティティは繋がるという視点は、都市もそうですが岡部邸にも感じます。
岡部 この話とうちを繋げるのは難しいとは思いますけれど、都市も必要に迫られて変わっていく点では一緒ですよね。選択肢があって、選んで変わっていくのではなくて、その時は、それしか選択肢がなくて変わっていく。それだからアイデンティティが保たれるということだと思います。
新掘 なるほど。「変わりながらも、アイデンティティが続いていく」というのが都市活動というのはすばらしい定義です。それは、まさにここで本当におきていってほしいことですね。
[2009年3月21日、《シュレム・羽仁邸》にて]
左から、
岡部氏、新堀氏、磯氏、大島氏
岡部明子 Akiko OKABE
1963年生。建築家、千葉大学工学部准教授。著書=『サステイナブルシティ──EUの地域・環境戦略』『ユーロアーキテクツ』ほか。

大島芳彦 Yoshihiko OHSHIIMA
1970年生。株式会社ブルースタジオ専務取締役、プロジェクト執行統括本部長。
http://www.bluestudio.jp/

磯達雄 Tatsuo ISO
1963年生。建築ジャーナリスト。フリックスタジオ共同主宰。桑沢デザイン研究所および武蔵野美術大学非常勤講師。著書=『昭和モダン建築巡礼』ほか。

新堀学 Manabu SYNBORI
1964年生。建築家。新堀アトリエ一級建築士事務所主宰。作品=《北鎌倉明月院桂橋》《笹岡の家》《小金井の家》《天真館東京本部道場》。著書=『リノベーションスタディーズ』。共著=『リノベーションの現場』『建築再生の進め方』(2008年都市住宅学会賞著作賞)。2007年第一回リスボン建築トリエンナーレ日本チーム参加出展。

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