Renovation Interview 2009.3.31
コモンという実験──建物をひらく可能性
[座談会]岡部明子×大島芳彦×磯達雄×新堀学
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コモン成立の条件
岡部 コモンを成立させるための要件として、3つの考え方が一般的にあると言われています。まずは、古典的な運命共同体、それから、帰属意識を持っている人を構成員とするコモン、そしてもうひとつ、マンションの管理組合みたいな共通の利益を成立要件とするものです。
これに対する個人的な見解は、まず、運命共同体は現代都市では成り立たないものだろうということです。秘密結社のような極めて特殊なものとしてしか成り立たない。それは現代における「コモン」のかたちではないでしょう。ふたつめの帰属意識に関しては、意識のない人を包摂できないという限界があり、これも問題です。いまのまちづくりの状況がこれで、まちづくりが好きな人しか集まってこない。仲良しサークルにしかならないという限界があるわけです。最後の共通の利益は、利益を生まないと成立しなくなるという限界がある。それぞれに限界があるわけです。
しかし、現代におけるコモンの成立条件として適切なのではないかと思っているものがあります。それは、共通の危機です。ここの場合では、この建物がなくなってしまうかもしれないという危機です。建築家の人々も興味を持つかもしれないけれど、この住宅が存在する風景が当然と思っていた地元の人たちにとっても、すごく重要な問題になると思います。共通の利益より、共通の危機意識のほうが、より多くの人たちの交わるコモンを形成しやすいのではないかと思っています。
新掘 共通の危機意識で連帯するというのは、これまでの保存活動でも見られた図式だと思いますが、ここにはあてはまらないと思います。というのは、ここにはいわゆる「敵」がいないわけです。オーナーも建物を壊そうとしているわけではありません。誰かに役割として悪者になってもらうというのも難しい。
ここでは、この空間をよりよく活かす「誰か」を探しているプロセスのなかで、もしかしたら「コモン」をつくることによってうまれる複数性がこの建物を活かす「誰か」に相当して、主体的に動いていけるのかもしれない。そんな希望を持って、「コモン」という仮説をたてたのです。
大島 残すためのひとつの手段として、コモンという考えを適用しようということですよね。
住宅の話に限定すれば、いままでの名作住宅を残すためには、誰か特定の人がずっと持ち続けて住み続けるというやり方と、市や区が買い取り、記念館のようなかたちで一般公開していくというやり方、その2つしかなかった。その2つだけだと、住宅の可能性として限られすぎているように感じていました。その2つ以外の方法になりうるのでしょうか。
岡部 それに近いことを国交省土地・水資源局の「地域ルールに基づく権利のあり方に関する研究会」(2008年3月最終報告、新田敏座長)で、すごく考えさせられました。そこではゴミ屋敷の扱いが問題になりました。個人所有あるいは放置された空家の増加に備えて、地域ルールをつくるのですが、いままでは所有者への要求権しかなかった。強制撤去もそれなりの理由がないとできないのです。けれども、法的に周辺住民が実行できるような仕組みはできないだろうかと話し合いました。自治会など地域で一定程度の信頼を得ている団体などが行政の認定を受けることで、その行為が違法にならないようなルールのあり方を議論したわけです。空地の草を刈ったり、空家となった土地の手入れをすることが、公益とまでは言えないにしても、共益なのか、それとも単なる集団的な私益なのかをめぐって議論しました。それに近いような問題がこの家にも存在すると思います。ただしここの場合は、もっとポジティヴですが。このことは、国か個人しかないという主体が二分化した現代において、地域をマネージメントしていくうえでの大きな課題になっていています。
新掘 そこには、2つの非対称性があると思います。ひとつは「公的な」強権が個人の所有権を押しつぶしていくことはしかたがないという非対称性。もうひとつは、逆に所有者が、所有権を権利の王様として周りの人たちの意見を押しつぶしていくという非対称性。僕は社会のなかの非対称性自体には功罪があって、ヴァリエーションを生み出す状況としてはあってもいいと思いますが、それがどちらかが決めたものを他方が受け入れるしかないような、一方的に固定したかたちであってはいけないと思います。
適切な非対称性、言い換えると局所的な特異性の存在は、地域を豊かにすると思うのですが、そこにつながるためにどうしたらよいのかということを考えているのです。例えば、この建物を良いと感じる人がその良さを体験できるように存続することが、僕らが共有している夢です。それは、必ずしもすべての人に共有されることを強制しなくてもよい。この建築や空間、歴史に共感する人がそれを支持できる、そこに参加できるというシンプルな主体のかたちをここでは探したいと考えているのです。
岡部 この家の価値を認める建築家の存在も重要なのだけれども、それがどれだけ周辺地域の合意であるかがポイントだと思います。ゴミ屋敷の時もそういう話になって、絶対に町内会のような既存組織が主体にならなければいけないというわけではないが、任意の個人が認定を受けるのは排除すべきという結論になりました。認定を受ける、つまり行政のお墨付きをいただくことによって、ゴミ屋敷を掃除できるようになるのですが、それを行なうのは地域住人でなくとも良いのではないかという意見が出ました。高齢化していくような地域で、コミュニティ自体が崩壊しているような場合は、外から来た人が働きかけることもあっていいだろうと。一方で、不動産会社が不動産価値を上げるというような発想でこられたらまずいだろうという意見も出ました。なにか地域のコンセンサスになっているようなお膳立ては必要です。
大島 ここは葉山という限られた人たちのコミュニティで、昔から名の通った地域です。そのことを理解しながら住んでいることが、周りの人たちも非常に大事だと思っているわけですよね。それが、地域のなかの安心感につながるし、周辺住民にとってはここに高い建物が建ってもらっては困る。それを思うと物理的な危機感もありますよね。
岡部 近隣の人たちとまちにある合意ができていることによって、地方自治体のお墨付きや認定を得て、この建物が消えることの歯止めになればよいのですよね。管理主体はかわらないことが重要で、もし譲渡されても、地域で管理していく仕組みを持っているということなのでしょうね。»

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