Renovation Interview 2008.3.25
建物の保存/運動の保存──保存運動のサステイナビリティをめざして
[インタヴュー]多児貞子+岩本毅幸 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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谷根千という地域性
新堀 地域雑誌『谷根千』は、「たてもの応援団」の活動と非常に近しい関係にあり、地域活動をメディアの力で強くサポートしている印象があります。『谷根千』の読者は、必ずしも谷中、根津、千駄木に住んでいませんよね。これは、実際にその地域に住んでいる人たちが自分の地域を愛するという場合と、ほかの場所に住んでいるのだけれどもその地域が好きだという場合がなんとなく混ざっている状態です。イメージではだいたいどれくらいの比率になるのでしょうか。
多児 『谷根千』の編集メンバーは地元に住んでいますが、「たてもの応援団」のメンバーは、文京区民が半分以下かもしれません。「たてもの応援団」というのは、安田邸の調査がきっかけで結成した会なのですが、このメンバーとは安田邸以前にも、例えば本郷にあった「十河信二邸」や「福士邸」の見学や調査などをしていました。そうした気の合う仲間で安田邸の調査に参加して「たてもの応援団」ができたので、必ずしも文京区民というわけではないです。
新堀 一般的に、古くからの文化がある地域の活動には新参者が外から入りにくいという空気を持つケースが多い。その点この地域はもともとオープンなのでしょうか。それとも、なにか意識された努力の賜物なのでしょうか。
多児 私は、やはり『谷根千』という地域雑誌によって育まれてきたまちの力というものが大きいのではないかと思います。もしこの本がなかったら、こういうコミュニティが育ったかどうかわかりません。
新堀 『谷根千』の活動には、よその地域のまちづくりに比較してももう少しアメーバ状というか、空気が合えばくっつくような柔らかさがあるように思います。その違いはなんなのか、この安田邸での活動を考える意味でも、興味があります。
岩本毅幸 たしかに柔軟なところがありますね。『谷根千』を編集している方々は、やはり20年間も人に会い続けているのですから、とても柔らかな視点をもっている。そうしたテリトリー意識のない人たちが『谷根千』をつくっている。それは本にも出ているし、本人に会ってもすごく感じることです。
岩本毅幸 岩本氏
新堀 安田邸という文化、谷根千という文化が、皆さんの興味の対象だとすると、ここで文化という言葉が指すのはけしてハードだけではないですよね。建築やまちを見ることである程度は興味が満たされるとは思うのですが、さらにソフトやマインドを提供するのはより高度なコミュニケーションです。だからこそ安田邸を公開できたことは、ほかからやってきた人がだれでもそういう体験をできる場所をよいかたちで持てたということになるのかもしれませんね。
岩本 私は、文化とはそもそも「形(かたち)」があるものと思っています。安田邸も「形」があって人がそこにいる。しかし、谷根千の文化の「形」は、やはり「人」なのかなという感じがします。ですから『谷根千』も人を対象にしている。そのあたりが『谷根千』のしなやかさに繋がると思います。
倉方 まちの意識というものがどういう風にできるのかという問題は、確かに不思議ですよね。そう考えると、『谷根千』は独特の方法を提示していると感じます。インタヴューによって存在が引き出されたさまざまな個人が、『谷根千』というひとつのパッケージのなかに文字化されて収められることによって、そうしたネットワークの場である「まち」がひとつの大きな実体となって見えてくる。そうしたまちの意識の作り方の構造があると思います。
多児 例えば、田端文士村とか落合文化村といった、ほかとはちょっと違う雰囲気のまちは東京都内にいくつかあります。そういうところは、過去にだれが住んでいたかということでそのまちのイメージが形作られていますよね。だれか一人が最初に住んで、その人が友達の絵描きさんを引っ張ってきて、またその人が友達の詩人を引っ張ってきて、それでなんとなくサロンができてというように。やはり出発点は、岩本さんの仰っている「人」なんでしょうね。
倉方 たしかにそうですが、普通は「そういうことがあった」という書き方にとどまりますよね。「現在こうつながっている」ということをレポートするメディアというものは、『谷根千』意外にはなかなか思いつきません。人については、亡くなってから歴史家が書くことはありますが、同時代的にそうした人の連携から「まち」の個性を示し得た『谷根千』の意味は非常に大きいですよ。
多児 それは生活者としての好奇心なのかしら。私は建物が好きだから、建物を見学して調査してレポートを書きましたが、じつは「建物」と「歴史」についてだけなんです。でも『谷根千』をつくっている人たちは、子育てもしていますし、学校の問題もあるし、介護の問題もありますから、そうした生活のあらゆるものを取り込んでいます。ですから非常に読者の共感を得るし、それが視野の広さとも言えるのかもしれません。
例えば、文化財だけを対象にしていたら、これだけ長いあいだは続かなかったと思います。やはりそれぞれの人が持っている生活感覚が『谷根千』の紙面に表現されてくるので、共感を得られたのではないかという気がします。
新堀 『谷根千』は一体どれくらいの広さを対象にしているのでしょうか。
岩本 これが置いてあるところがだいたい谷根千です(笑)。かなり広いのですが、そもそも谷中、根津、千駄木を一緒に考えるという視点がすごく革命的だったと思います。住んでいる人は普通に生活しています。けれども『谷根千』があることで、この地域のだれかが自分のお隣さんだということになってしまった。これは本当にすごいことですよね。
『谷根千』のこの柔軟さゆえのまちへの広がりは、さきほどアメーバ状と言われましたが、これからの社会でのまちづくりに必要な感性、というより「センサー」を持ち合わせているからだと思います。スピードこそ違いますが、今のIT社会でのウェブ上のネットワークの広がりと似ています。このアナログ集団が、じつは時代の先端をいっていると最近、実感しています。»

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