Renovation Interview 2008.3.25
建物の保存/運動の保存──保存運動のサステイナビリティをめざして
[インタヴュー]多児貞子+岩本毅幸 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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保存運動の要
多児 私は1971年から21年余り、日本ナショナルトラストで働いていました。ですから、寄贈すれば免税になるということを知っていたのが幸いしました。
当時のナショナルトラストのオフィスは東京駅の真ん前の旧丸ビルにありましたので、東京駅は身近な存在でした。1987年4月、赤レンガの東京駅が壊されるということを聞いた時、現在の建物がなくなって四角いビルが建つことを頭の中でイメージし、これは保存しなくてはいけないと思いました。当時の東京駅の保存運動は4カ月で10万人もの署名を集めて、それを国会請願として提出しました。きちんとした戦略は立てていましたが、運動の渦中にいましたから、あれよあれよという間のことでしたね。
新堀 東京駅保存運動のときに、それを残さなければならないと感じた価値の根拠は人それぞれだったと思います。駅に思い入れがある人もいたし、建築的な価値を言う人もいた。非常に個人的な価値と、いわゆる人に話しやすい価値とが混在していたはずです。それらをすべて含めて10万人分の署名だと思いますが、その運動のなかでは、双方の価値を同時に話せたのでしょうか。
なぜこんなことを聞くかといいますと、私が保存運動に関わっていたときでも、話し合う相手と対立的な空気になるときがあったのです。そこではどうしてもハードな価値の話になってしまう。そうしたときに、個人的な価値=弱い価値というものは、率直に言って嘆願の数に入りにくいわけです。東京駅でもそうですし、この安田邸の場合もそうですが、多児さんの感覚としては、そうした弱い価値が社会のなかで意味をもつようになってきたとお考えでしょうか。
多児 状況は全然変わっていないと思いますよ。東京駅も残ったし、安田邸も残りましたが、むしろ状況は厳しくなっているという気がします。私も保存運動のきっかけは建築的な価値から入っていくのですが、いろいろと調べているうちに、建築的価値よりも歴史的な意味やその建物に関わる人々のことに関心が移っていくことがよくあります。それがさきほどおっしゃった個人的な価値と言えるのかもしれませんが、重要なのは、どちらの価値にせよ、どれだけ共感を得られるかということではないでしょうか。
新堀 この安田邸、東京駅というふたつの保存活動で共通する、成功の核になった部分というのはあるのでしょうか。
多児 東京駅に関していえば、発端は、赤レンガ駅舎がなくなって高層ビルが建つことをイメージして、単純にこれはだめだと思ったことです。それが発端だったのですが、いざ運動を始め、活動がマスコミで紹介されると、私たちのもとへいろいろな方からのメッセージが届くようになりました。そのメッセージを読むと、結婚することになる人と初めて出会ったとか、就職が決まったときにあのドームを見上げたとか、大勢の人たちの思い出があそこに詰まっている、市民の駅なのだと実感したのです。
東京駅が残った理由は、戦略的な部分がうまくいったのだと思います。縦社会で仕事をする男性には、いろいろなしがらみが多くて運動には関われない場合が多いので、女性がやらなければ駄目だという気持ちがはじめにありました。あとは、一緒にやった人たちというのが、普通の市民感覚を持った人たちで、いわゆる筵旗を上げてデモをするということとは全然無縁だったということもあって、おしゃれに運動しようとか、絶対に私生活は犠牲にしないとか、インパクトのある戦略をたてるというような、いくつかのルールを決めたこともよい結果を生んだのだと思います。
東京駅は復元しないでもよかったという声もずいぶんあります。けれども、20年前は「復元」ということを前面に出さないと残せなかった。東京駅は戦後10年ごとに取り壊しの声が上がっていましたから、ここで「復元」という投資をしないと一時的に残ったとしてもまた10年後に取り壊しの声が出ることは当然予想できました。そういった意味で「復元」は東京駅の保存を保証するものでした。けれども、戦後復旧のままで残るのであれば、復元費用調達のための空中権の売買というものは必要なかったわけですから、周辺の高層化をもうちょっと下げることができたのかも知れません。
新堀 そのときに培った経験が、安田さんの心を開いたように思いますし、ここでの活動にも十分に活かされているように感じます。
一方で、安田邸が残った理由を、ナショナルトラストが受け入れたことだけに帰結するのはまた狭い視点です。それでは、日本全国の建物をナショナルトラストが保有しなくてはいけなくなってしまって、それは難しい。ナショナルトラスト的な活動がもっと社会に増えれば別ですが。こうした成功をもっと増やしていくにはどうしたらいいのでしょうか。
多児 残していくための選択肢が少なすぎるというのが実感ですが、保存をお願いする立場としては「誠実さ」しかないです。安田邸でいろいろと実践を積み重ねていって、いいかたちで保存と公開がうまくなされ、ほかのところに波及していけばいいなと思います。私自身はあまりほかの事例を知らないのですが、いろいろな方の話を聞くと、やはり全国各地でものすごくユニークな運動があるようですね。そうしたユニークな活動が互いにメッセージを出し合って、そのおいしいところをお互いが取り合うことができればいいのかなと思います。
新堀 いま思い出したのですが、桐生にある彦部家屋敷では、まだ当主がいらっしゃるのですが、母屋の隣に自分の家をつくって、母屋と長屋門は昔のままに残して公開をしておられると聞きました。その人はNPOをつくっていて、木造建築の保存についての全国的なネットワーク(全国重文民家の集い)があるのだそうです。同じように自分たちのものを残しているオーナーさんたちが繋がっていて、年に1回は皆さんを呼んでお話をしているということでした。
あと、これはネットワークということではないのですが、川越市の北側にある「遠山記念館」では、この季節は雛壇飾りを展示しています。安田邸に来たときに、遠山記念館と文化レベルで近いものがあるのかなと思いました。
多児 私たちも安田邸をお掃除しようというときに、朝早く遠山記念館へ行って掃除の仕方を見学させていただいたことがあります。そうしたら、結局ただ掃いているだけで、それを毎日やることが大事だと言われました。当たり前のことを当たり前にやるのが大事なのですね。
安田邸、1階客間

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