Renovation Interview 2007.11.22
《孤風院》からの風景──オーセンティシティへのオルタナティヴ
論考]建築を使い続けるプログラム──コマンド“SU”を打つ|新堀学
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建築を使い続けるプログラム──コマンド“SU”を打つ|新堀学
この《孤風院》を取り上げようと思った動機のひとつは、「オリジナル=完結したかたち」というものは「使いつづける=書き換える」行為によって常に相対化されていくということが、よくわかるかたちで動いている現場であるからだ。
さまざまな場所で「市民による保存活動」が立ち上がり、あるものは「保存」を勝ち取り、あるものは「解体」という結果に終わるなかで、「残る/残らない」といった活動の成果よりもそれらの活動自体の価値・目的について考えていきたいと思うようになった。そのときに考えるべきは、建築の存在を支える「主体」の存在位置の問題であろう。それは大きくに分けると「所有者」または「利用者」となるのだが、前者にとっての価値と、後者にとっての価値とをうまくその場のリソースを使ってプログラムすることが、「建築を残す」ということを社会的に定位する道筋ではないかと最近考えている。
そこにおいてこの《孤風院》におけるプログラムの面白さは、「利用者」が建築を使い続け、更新する行為のなかで、その「利用者」=学生たちが自らのスキルをヴァージョンアップしていく点にある。建築を書き換えるものが自ら書き換わるというプログラムなのだ。
対談中「スーパー・ユーザー(=SU)」という言葉を思わず使ってしまったのだが、これは単に「スーパーなユーザー」という強調をしたかったのではなく、じつはunix系のOSにおけるコマンドのひとつ「SU」をメタファーとして考えていたのだった。「SU」とはログインした通常のユーザーアカウントに対して、事後的にシステム全体をコントロールする「ルート=管理者」と同様な権限を与えるコマンドである。つまり利用者と管理者のあいだを行ったり来たりするユーザーのポジションが、「スーパー・ユーザー」というコマンドで可能になるのだ。そのことによって、通常は道具性の背後で不可視であるシステムという環境は、カスタマイズ可能になる。このことは、《孤風院》のプログラムを体験した学生が、ほかの建物の診断、見立てへと進むことが期待されるというストーリーの本質につながっているのではないかと感じたのだ。
そして、やはり関心は、そういった「スーパー・ユーザー」が自ら使う「まち空間」へとそのコントロールの範囲を広げていったらどうなるだろうかというところへと向かう。建築/都市に関わるさまざまなイニシアティヴの動的なひとつのかたちとして、この《孤風院》のプログラムは多くの可能性を示している。アーキテクチャーのビルドだけでなく、ユーザーもまたビルドの対象と考えることがこれからの「現場」での可能性を広げる視点なのではないだろうか。

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