Renovation Interview 2007.11.22
《孤風院》からの風景──オーセンティシティへのオルタナティヴ
インタビュー]田中智之 聞き手:新堀学
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ラディカルな「保存-継承」のあり方
新堀 田中先生はプロジェクトにはどういう関わり方をされているのですか。
田中 なかば人材派遣業的に学生を巻き込む仲介人のような役割でありつつ、企画人や現場監督も兼ねていて……どっぷり漬かっていますね。《孤風院》には、雑多でガチャガチャしたまま成長していく新しい「保存-継承」の可能性を感じたので、それを模索していきたいなという気持ちがありました。そういう場所は意外とないものです。
新堀 いま、「保存-継承」という言葉を使われましたが、田中さんが言われた「保存-継承」とはどういう意味でしょうか。そして、どういうところで新しい可能性を感じているのでしょうか。「保存-継承」は狭い意味で考えると、いまあるものを減らさないという後ろ向きのイメージがあります。しかし、ここでは決してそうではありません。
熊本大学には、木島先生が生徒とともに現場で勉強していたような当時の空気が「継承」されているともいえます。20年ぐらい前には現場を体験する機会は、設計事務所かゼネコンの設計部くらいしかなかった。けれどもいまの学生はわりと「生きた現場」に向かう人が多いでしょう。そのチャンスが増えているともいえますし、ここではそうした「やり方」自体がうまく展開されている印象があります。
田中 建築をつかい、学び、手を加える──それにより建築や人が少しずつ変化していくことも「保存-継承」のひとつのかたちと思っています。実際に手を動かしてモノをつくっていくなかで、セメントと水をまぜたら熱くなったとか、石というのは重いんだとか、「90角」の角材は意外とゴツいとか、そういう意見が学生から出てきて、それはすごく重要なことと思います。そういった現場を経験した学生が教室に戻ってきて設計すると変わります。ムダな線が減ってくる。社会と関わり、実物と戯れながら、建築の思春期を過ごすのは恵まれているなと思います。それをできれば継続させたいのですが、これが実は一番難しい。こうした活動を続けていくためには、後輩にバトンタッチして伝えていくための仕組みが重要です。この《孤風院》の場合は、台風の後にOBたちが大丈夫だろうかと見に来たりして、関わった人間が再訪することが多い。こういう人の繋がりが「保存-継承」の原動力になり《孤風院》をフィールドとしたある種のリレー競技が行われていくわけです。この延々と続く「競技」に何か新しい可能性を感じてしまいます。
それから、雑誌やインターネットなど、情報発信の仕方も重要だと思います。「保存-継承」は後ろ向きなものではなく、もっとラディカルなものとして社会に伝えることができれば、鋭い嗅覚を持たない人間でもそちらに向かわざるをえないですから。
田中智之氏
新堀 不思議な持続感ですよね。完結することがむしろ想像できない。いい感じで持続しているのはこの場所の特徴でもあるのでしょうか。
田中 そうですね、絶妙な距離感なんです。熊本市内ではないので放っておこうと思えば放っておける、でも誰も黙ってない。それがなかなか不思議だなと思います。阿蘇に車で一時間くらいですけれども、日常と違う孤風院スイッチみたいなものを入れることができるのはなにか楽しいのでしょうね。
新堀 ここの活動の組織力、実行力がほかの場所で活用されたらおもしろいと思うのですが、そういうお考えはありますか。
田中 あります。「出前《孤風院》」という活動を、一昨年試験的にやりました。熊本市内に木島先生の《上無田公民館》がありますよね。そこで医者が診断するように、建築の医者として、実測をして現状を記録し、こういう処方をしたほうがいいのではないかと学生がアドヴァイスをしました。将来的にはこういうこともやっていきたいですね。
そのためにも、今年、壁塗りというベーシックな作業を学生がやったのはすごくよかったと思います。建築の基礎的な部分をしっかり抑えられる人材が増えていくのは良いことでしょう。
新堀 「私は《孤風院》で壁塗りができるようになりました」というのは、建築に関わるための武器=アイテムがひとつ増えるような感覚でおもしろいですね。だんだんステージが上がっていくのが楽しそうです。今後の活動に期待しています。»
田中智之 Tomoyuki TANAKA
1971年生。建築家。熊本大学大学院自然科学研究科准教授。TASS建築研究所共同主宰。主な作品=《吹上の家》《早稲田大学會津八一記念博物館》など。

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