Renovation Report | 2007.3.22 | |
「直島・家プロジェクト」レポート 渡辺ゆうか |
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1987年(現・福武会長が直島の土地を一括購入した年)以降の直島の辿ってきたプロセスを年表に沿ってみて見ると大きな流れが見えてくる。 1989年──直島国際キャンプ場(監修=安藤忠雄)がオープン 1992年──同設計者による美術館と宿泊施設が一体化したベネッセハウスを展開。「直島コンテンポラリーアートミュージアム」としてアート活動を開始(現ベネッセハウスミュージアム)。「Out of Bounds」展など多数展示を開催 1996年──作家に足を運んでもらい直島でしか成立しない作品を制作依頼。サイトスペシフィック・ワークスをベネッセハウスや野外に展示する。作品は永久的に展示されるというコッミッション・ワーク形式を本格化させる 1997年──本村地区で古い民家を使用した「家プロジェクト」が始まる 2001年──「The STANDARD スタンダード」展開催。直島コンテンポラリーアートミュージアムの10周年記念企画として島全体に作品を配置した展示を展開 2004年──地中美術館(設計=安藤忠雄)オープン。地中に埋まった美術館にクロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作家3名のみの作品展示構成が話題となる 2006-2007年──「NAOSHIMA STANDARD 2 直島スタンダード2」開催。基本コンセプトは前回と変わらないものの、本村地区に重きを置いた展示構成。さらに向島を取り入れエリアを拡大する。海の駅なおしま(設計:SANAA)完成 ■直島スタンダード2 会期=2006年10月7日(土)〜12月24日(日) 2007年2月24日(土)〜4月14日(日) 時間=10:00〜17:00 |
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ベネッセハウスミュージアム、野外展示、地中美術館、さらに2006年5月に新しくオープンしたベネッセハウスパーク棟などは南部エリアに位置する。そこから東へ自転車に乗ること15分で、「家プロジェクト」が行なわれている本村地区に辿り着く。古い民家だけでなく城跡、寺、神社が残っているこの地区では、過疎化や高齢化が進むにつれ空家が目立つようになっていた。 1997年、直島町役場からベネッセ側に本村地区に残る家屋の活用法を打診され「家プロジェクト」が始動する。単に町並み保存のような活動では大きな変化や刺激的な関係性を生む事ができないと考え、アーティストが関わることで発生する状況、それらがどう機能していくのか進めながら「家プロジェクト」を考えていきたかったと当時の様子を前・地中美術館館長の秋元雄史氏は述べている。 同プロジェクトの口火を切るアーティストとして選ばれたLED(発光ダイオード)デジタルカウンターを用いて制作活動をする宮島達男は、「最初に角屋をみたときには、屋根もつぶれていて、まさに廃屋という感じでした」と初期の状況を語る。築200年の民家を改修し完成した「角屋」には3つの作品が配置されており、なかでも《Sea of Time '98》がこのプロジェクトにおいて重要な役割を担った作品だといえる。門をくぐり抜け土間に足を踏み入れると、薄暗い部屋の中に瀬戸内海に見立てられた水面が部屋一面に広がる。水中に沈んだ125個のデジタルカウンターが違った速度で一斉に点滅している。カウンターのスピードは、作家自らタイムセッティング会を地元住民に呼びかけ、4歳から90歳の125人の島民が設定している。ひとつのカウンターが個人の所有する時間を現わすと同時に、視点をかえれば瀬戸内海に浮かぶ島のひとつとして見えてくる。作家と住民がこうした地域性や制作プロセスを共有することにより、島に残る見向きもされなかったものがアートの力によって息を吹き返し、新しい価値が見出された現状を実感することができたという。こうしてプロジェクトの方向性は決定された。 |
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翌年には、世界的な現代美術作家ジェームズ・タレルと建築家・安藤忠雄によるコラボレーションワークが公開された。光を物質として捉えるタレルの作品には広い空間が必要とされ、理想的な空家を見つけられなかった為にこの作品は新築の建物を設計することとなった。「家プロジェクト」では空家をベースに作品を展開するのだが、ここでは作品性の確保と日常のバランスを優先して、お寺の本堂があった空き地に建物を建設した。建材もこの地域で多く見られる焼杉板を使用し、さらに「南寺」という以前あったお寺の名前を付けることで土地の歴史と現在を繋げるといった、概念的なリノベーション的役割を果たしている。一方、南寺内部の作品、《Backside of the Moon》は自分の手も確認できない闇から始まり、暗順応と鑑賞とを組み合わせた極めて精神的な作品が展開されている。筆者は鑑賞後、高揚した気分のまま南寺を後にした。前の空き地ではお年寄りがゲートボールを楽しんでいる風景が広がっており、思わず笑みがこぼれてしまった。ここでは、これが日常なのだ。 南寺から歩いて3,4分したところに、内藤礼が築約200年の小ぶりの家「きんざ」を使用し、2001年に作品《このことを》を完成させた。家の構造体である屋根、柱はそのままだが、伝統的な手法を用いて外壁も作品の一部として作成された。作品を鑑賞できるのは、1日18人まで。1人ずつ内部に入り、15分間作品と向き合うものとなっている(要予約)。どの作品もそうだが、雑誌やカタログでは到底味わえない圧倒的な空間性が押し寄せてくる。 |
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2002年には、地元住民の要請を受け杉本博司によって「護王神社」が再建された。写真を媒体として作品を多く発表している作家であるが、宗教、建築などの知識も深い。特に建造物を改修している訳ではないが、南寺同様に土地の記憶から村の核となる場所を再建している。民家ではなく神社の再建を進めるなかで、作家は伊勢神宮を神社建築の原形に据え本殿の設計進めた。さらに地下部分を設けて神社と古墳の歴史的関係性を現代に置き換え空間化させる。実際に神社ができるまでは、住民が不安を抱いていたことはあったかもしれないと語る作者だが、完成してから毎朝行なわれる掃き掃除、日課として参拝にくる住民により作者の不安は払拭される。作家と地域との関係性が終了するということはなく、住民からの希望があればお賽銭箱の設計をしたりと今だに制作活動は続いている。 朝一番、鑑賞時間に制限がない護王神社を訪れ地元の方が参拝している姿を目にした。そして、落ち葉をはいているボランティアガイドの方が私に気がつき、作品の解説と地下に設置されている作品まで案内してくれた。ボランティアをしている理由を尋ねると、返事がすぐに返ってきた。「ただ感動してもらいたいだけなんだ」。 |
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「アートの日常化」と題して2007年4月まで、直島及び向島では「直島スタンダード2」展が行なわれている。「家プロジェクト」が展開している本村地区を中心に作品が構成され、同プロジェクトとして継続展示される作品も同時に発表される。 愛媛県宇和島にアトリエを構える大竹伸朗は、元歯科医院兼住居「はいしゃ」を使用し外内部まるごと作品化していた。同作家は、1992年に開催された「Out of Bounds」展では《シップヤード・ワークス》、2001年の「スタンダード」展では《落合商店》を発表している直島常連の作家だ。江戸末期から明治前半の建物として島で最大規模の民家のひとつ「石橋」では、日本画家・千住博により12色のビビットな滝15枚が母屋を回遊するように配置されている。蔵では、全長15mにも及ぶ大作「ザ・フォールズ」の迫力に圧倒される。 日本家屋の脈略をそらさずに新鮮な感動を持ち合わせた作品空間だ。「きんざ」横の空き地に新たに作られた「碁会所」は、島に残るご隠居さんのエピソードにより名付けられたもの。作家である須田悦弘は、卓越した描写力により本物そっくりの植物を作り出すことで知られている。そうした繊細な意識は建物の柱、畳など随所に見る事ができる。 |
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以前から本村地区にあるインフォメーションや書籍閲覧の機能をもつ《本村ラウンジ&アーカイブ》も、農協のスーパーマーケット跡を西沢立衛により広々としたスペースに改修されたもの。 本村地区から見える向島では、34年振りの新島人として作家川俣正が住民登録をした。向島に小ぶりの可愛らしい民家を改修しアトリエとして構え、プロジェクトハウスとして公開している。今後、瀬戸内の島々を結ぶ息の長いプロジェクトに取り組む。まずは船舶免許を取得し、それから船を作成する予定だという。 |
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こうしたアートと場を軸にしたさまざまな活動は、住民の町に対する姿勢を確実に変化させている。町役場により本村地区に残る屋号を示したプレートが村に表示されたり、村を掃除するといった行為が自然発生する。さらに、「スタンダード」展で岡山県在住のれん作家・加納容子により「のれん路地」という作品がはじめて家々の玄関口を使用して発表される。以降、「本村のれんプロジェクト実行委員会」が立ち上げられ、現在ではのれんによってケとハレの日を演出し町並みを彩る運動は継続して行なわれている。2004年には70才代中心のボランティアチームも作られ、ガイドとして来島者に説明するために現代美術を勉強しているという。島外からは、島に魅せられ本村地区の空家を改修し埼玉出身の女性がカフェ「まるや」を始めた。さらに、香川大学経済学部古川尚幸助教授のゼミ生15人が中心となり、有志を募り企業の支援なども取付け築50年の民家をカフェ「和cafe ぐう」としてオープンさせる。ここでは、生きた経済と地域への働きかけを実践しながら学ぶことを目的としている。 | |||||||
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こうした広がりの中心にあるのは、やはりただの物質としての綺麗な作品ではなく人が関与していること。だからこそ面白い状況が発生している。古い民家は住居としての用途から解放され、場としてのさまざまな可能性を秘めながら地域のなかに佇んでいる。直島にある作品には、作者、作品名、年代といった最小限の表示しかされていない。頭で理解する展示よりも受け手側の感受性に委ねている手法だ。こうした展示する側のスタンスが住民と来島者のコミュニケーションを誘発させ、住民のなかに自然に作品のことをもっと良く、そして深く知ってもらいたいという思いが生まれ、現在の状態を創出しているのだ。 |
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地域再生の戦略として建物のリノベーションとアートを取り入れた事例はフランス・ナント市、フィンランド・フィスカス村、ドイツ・エッセン市、イタリア・ジェノヴァ市など世界的に見れば決して珍しいものではない。そのなかでも直島は独自の魅力を放っている。大きな要因として、瀬戸内海に浮かぶ島という立地的な要因や住民性が挙げられる。とくに、意欲的に地域を巻き込むような強いヴィジョンを持ってプロジェクトを進めている福武氏の存在は大きい。そして、本事例と特に類似しているプロジェクトとして、本サイトでも取り上げた「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ2006」で行なわれた「空家プロジェクト」が挙げられる。その背景に共通してあるのは、廃屋や空家といった地域が負としている部分を美術の力によってその価値を反転させること、見捨てられたものを再評価することに重点を置いていることだ。 現在進行形のこれらのプロジェクトだが、新しい出来事として、2007年1月に越後妻有アートトリエンナーレ総合ディレクター北川フラム氏が地中美術館館長代理を勤めることが発表された。個々のプロジェクトの動向とともに、二つのプロジェクトが関わりあうことで今後どのような展開を見せてくれるのか、楽しみでならない。 参考文献 ・秋元雅史、安藤忠雄ほか『直島瀬戸内アートの楽園』(新潮社、2006) ・『「直島スタンダード2」パンフレット』 ・ CREATIVE CITYアート戦略都市──EU・日本のクリエイティブシティ(鹿島出版会、2006) |
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