トップアオキアトリエ・ワン
●徹底したリサイクルの追求

▲日埜直彦氏


fig.1
日埜直彦――《セントラルビル》[TOPページ地図:R2]は木造2階建ての木造アパートです。築45年、1階には道路に面して店鋪があり、その他がいわゆるアパートの部屋になっていて計14室がありました[fig.1]。六畳一間、四畳半一間が少しずつ混ざっていて、風呂なし、共用便所。こう聞いて頭に浮かぶような、どこにでもある建物です。部分的にはごく最近まで使われていたと聞きましたが、本当かなと思うようなひどい状態でした[fig.2-4]。例えば1階のこの部屋はもともと美容室だったのですが、「廃虚」と言ってしまうと言い方は酷いですが、どうもそんな無気味な感じさえして、かび臭いどんよりした空気が漂っていました。他の部屋も大同小異で、畳など今にも踏み抜いてしまうのではというような状況でした[fig.5・6]

fig.2-6
=改修前の内部

今回のリノベーションにあたっての与件を整理すると、まずはこの建物に新しい使い方を与えるという課題があります。今回の展覧会会期中はギャラリーとなりますが、そのことを考えると六畳一間、四畳半一間というのはどうにも使いにくい大きさで、空間のスケールを調整する必要があります。展覧会以降の継続的な使用を前提とした計画ではありますが、どう使うにしろ部屋の大きさを拡げておくに越したことはありません。さらにサーキュレーションの組み替えも重要なポイントでした。サーキュレーションというのは建物内部の人の動き方、あるいは部屋と部屋とのつながり方のことですが、アパートというのは普通廊下に各室がそれぞれ接続されたブドウの房型のサーキュレーションを持ちます。このサーキュレーションの構造を変えない限り、でき上がるものはたかだかアパートの改装にすぎません。既に存在するブドウの房型の動線に重ねて、一筆書き型の回遊するサーキュレーションを作ることにしました。部分的に壁を撤去することで、部屋を合体させて使いやすいスケールにするとともに、サーキュレーションを組立て直しています。またそれとは別に構造強度上の問題がありました。45年前というのは耐震性に関する法的基準が整備されていなかった時期ですから、現在の基準に見合った構造要素がこの建物には全く存在しない。あらためてこの建物を使うことを考えれば、できる限り耐震壁を確保しておきたいわけです。さらに言うまでもないことですが当然プロジェクトにかけられるコストはとても限られていました。こうした条件を一気に満たす解決法を見つけ、かつ単に問題解決するだけでなく、空間として魅力あるものでなければならないわけです。そんな都合の良い方法はなかなかありません。いろいろ考えましたが結論的には、パーティクル・ボードという素材、廃木材からつくる再生木材を今回はピックアップしてプロジェクトに取り組むことにしました。

先に申し上げた通り、既存の天井や壁を相当撤去します[fig.7]。撤去すれば、木造の建物ですからその廃材の多くは木材です。その廃木材をリサイクルしてパネル化したものを、建物の構造補強に使ったわけです。いわばこの建物の廃材をリサイクルすることで、この建物自体がリサイクルされてしまうという格好ですね。徹底的なリサイクルの追求を、まずは一度真正面から受け止めて考えてみました。パーティクル・ボードというとあまり聞きなれない名前かもしれませんが、実はありふれた素材でして、例えばカラーボックスやマンションの床下地などに使われています。普通は表面が仕上げされていますから、この素材そのものを目にすることはあまりないかも知れませんが、今回はこの裏方の素材を主役に据えています。もちろん特殊な仕上げによってきれいにお化粧してしまうのではなく、ただ少し手間をかけて素朴な塗装をするだけでなかなか面白い質感が出てきます。日本は再生木材の使用に関して実はかなり特殊な国です。あたりまえのように日本ではベニヤ板を使っていますが、ベニヤというのはあくまで新しい木材を用いて作られる材料で、その浪費は森林破壊や温暖化の問題と密接な関係があります。再生木材の使用率において日本は欧米のおおむね半分以下という数字がありますが、再生木材に目を向けることはたぶん必要なのでしょう。パーティクルボードには木目がありませんから、日本人の感受性からは寂しく思われるかもしれませんが、しかし今回パーティクルボードを使用していることは、再生木材の使い方についてのひとつの提案でもあります。
ともかくこうやって解体の廃材が大量に排出されます[fig.8]。これが工場で加工されてパーティクル・ボードになって帰ってくるわけです[fig.9・10]。もとも真壁といって柱が内部に露出している構造でしたから、パーティクルボードをベタ貼りにして構造補強をしています[fig.11]
上:fig.7fig.8
下:fig.9fig.10fig.11

●モノとしての空間をリノベーションする
「リノベーションとはなに?」というシンポジウムのテーマに対して、極端な言い方をすれば、リノベーションはリサイクルだ、と考えることもできます。今ある建物をモノとして見直してみること、あるいはモノとしてリサイクルすること、どのようなリノベーションもつねにそうしている。例えば、木造アパートという機能そのものはリサイクルすることはできない。でも建物をモノとして直視してみれば実は結構いろいろな潜在的な可能性がそこに見えてくるわけです。そういう意味でリサイクルはリノベーションに必ず含まれている。これは僕の勝手な言い方では多分ないと思います。リノベーションとかコンバージョンとかいうことが各方面で話題になっていますが、特にまちづくりや経済の文脈で語られているそれは、結局このリサイクルの問題じゃないでしょうか。建物をまるごとリサイクルすることで、まちを活気づけるハードルが低くなり、停滞していた経済の歯車が軽くなるんじゃないか、そういう期待があるわけですけれど、今回のプロジェクトはその極端な場合と考えることもできる。

さて、リノベーション後の姿を紹介していきます。ファサードはあまり変わってないようですけれども、パブリック・リレーションの要素を既存のファサードの型式に合わせて付加しています。ひとつは大きな開口部を設けて、内部で何をやっているのか道路から見えるようにしています[fig.12]。そしてそれと対称にサインを設けて、この建物が街と関係する糸口としました。そして内部の廊下、ちょっと薄暗いのですがそれが意外に気持ち良いので、手を加えず徹底的に掃除をしています[fig.13]。実は工事そのものよりも掃除の方が大変だったような気がします。オンボロだけど、手入れされて生きている建物になってくれればと思っていました。1階の最初の部屋は先ほどお話したパーティクルボードで補強しただけのようですが、昔ペンキを塗った刷毛を洗うのに使っていた種類の油を壁のパーティクルボードに塗ることで、上品と言うと言いすぎかもしれませんが、わりと落ち着いた質感になっています。とりあえず作品が置ける空間としつつも、こうなっていれば今後どうとでも使えるでしょう[fig.14]
fig.12fig.13fig.14

ここは天井を抜いていまして、吹き抜けた上に2階の部屋が見えます[fig.15]。先ほど、モノとしてリサイクルするという話をしましたけれども、部屋もいわばモノです。吹き抜けというとなぜかだいたいは小綺麗なものと相場が決まっているわけですが、別にそんなことはたいして重要じゃない。むしろただ量的に空間が大きく高くなればそれで十分気持ちよかったりする。あるいは新しい見え方、こんなに低い位置から和室を見ることはまずありえません。上に見えているのはある意味では生活です。いつかどこかの自分の生活を奇妙な距離感で見ているような、そういうちょっと幽体離脱的な感じがします。
その奥の部屋、写真で見るより実際見ればわかることですが、この部屋だけ極端に壁を分厚くしています。もちろんいくつかの必要があってそうしているのですが、厚い壁と単純な開口部、そしてそこに光が差し込むとかつての六畳一間の部屋とは全く違った空間になってしまいます[fig.16]。そして既存のままの一室を残して、次の部屋、床と天井、2室の間の壁を撤去しただけです。作品がない状態では想像しにくいかもしれませんが、作家が白樺の立木をもってきて雑木林のジオラマをつくるということで、展示によってまた空間はがらりと変わるでしょう[fig.17]
2階は床までパーティクルボードです[fig.18]。床は先ほどと同じオイルに染料を混ぜて塗装してワックス仕上げ、ものすごくチープな仕上げなんですが妙にリッチな質感があります。壁は白のザラザラした塗装とヌメヌメとしたツヤのある塗装を部屋の性格に合わせて使い分けています[fig.19・20]。先ほどの1階の最初の部屋と2階のこの部屋、一方は2階の部屋をそのまま吹き抜けとしてもう一方は小屋裏を吹き抜いているわけですが、これは建物をモノとして即物的に見れば全く同じ操作ということになります。要するに高さが欲しければその上にスペースはあればよく、部屋だろうが小屋裏だろうがもはやどうでもよい。例えばそんなふうにリノベーションは建物をモノに還元してしまうわけです。生活感覚的な常識がひっくり返されて、建物がただのモノとして現われてくるわけです。アルミ缶がアルミの地金になることとそれはある意味で同じことかもしれません。
しかしながら、リノベーションはリサイクルだというのは、ある意味では嘘じゃないけど、やはりたぶん違います。例えば、この部屋の上の古いしっかりした小屋組と下のある種モダンな白い空間、こういう年月を隔てた対比的で重層的なあり方は、抽象化を拒むようなとても具体的な個性があって、それがリサイクル云々よりもはるかに強くこの空間の雰囲気を決定している[fig.21-22]。これは見方によってはノスタルジーの問題かもしれません。しかしどうもそういう気分的なものでは語れないような、どうしようもないリアリティがそこにはある。たぶんそれはある意味では「古さ」という事実そのものでしょう。いくらこざかしいことを考えてもある意味では無駄で、結局この「古さ」とどう関係を取り持つかという問題がどうしようもなく最前面に現われてきてしまう。リサイクルをここで徹底的にやっていて、その意義に疑問を持つわけではないのですが、建築家としてそれに取り組めば、途端にいやおうなくこの重層性が浮上してくる。その問題から逃げて古いものを覆い隠してしまえば、ただの改装です。リノベーションが持っている独特の面白さは、その問題に直面して、ノスタルジックな懐古趣味でもなく、単に新しいスペースに作り替えるというだけでもない、古さと新しさの組み合わせによってこそできる複雑な空間に取り組むことにあるように思います。
fig.15fig.16fig.17
=1階展示室
fig.18-22=2階展示室

今回リノベーションをやるにあたって、青年会議所の方々や学生ボランティアなどいろいろなかたのご協力をいただき、それぞれ当事者としてこの建物に関わっていただきました。そういう誰でも当事者として参加ができるという気安さもまたリノベーションの良いところのひとつでしょう。もちろんある種の技術的な裏付けや、経験的なノウハウはある程度必要ですが、それでもそれぞれにできる範囲で工事に参加することは、実は結構楽しい。ご協力に感謝しつつ、その経験がリノベーションを考えるきっかけになればと期待しています。[了]

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