プロローグレクチャー

●都市開発・リノベーション・建築教育
松村秀一──今日ここに来る前に、まったく違う話を打ち合わせしていました。東京都の足立区では2階建ての公営住宅がどんどん空き家になって、お年寄りしか住んでいなくなっているので、それをどうするかということでした。それで「松村先生、先生や研究室の学生さんにここに住んでもらえませんか」という話がでてきたのです(笑)。つまり、空いている建物に学生に入ってもらって、「実験もできるし、中もDIYで改造できる」という想定の話です。そうして、ここへ来たら、同じ東京都で、同じ都市再生でもまったく違う。高々タクシーで4000円くらいの距離の所で、これほど違うことが起こっていることをどう理解すればよいのか、と考えながらお聞きしていました。
六本木ヒルズの話が出ましたけれども、中国ではあの建物はすごく評判がよい。東大で都市工学と土木と建築が一緒に「都市空間の持続再生」というテーマで研究をしていて、その関連で北京で講演をした時のことですが、中国のある先生が「あなたたちにはよいお手本が自分たちの国にあるではないですか。森ビルの六本木ヒルズがあるではないですか」と言われました。中国のモデルとしては非常に理解されやすい。
先ほど、大学でお話しされたときに違和感があったとおっしゃられましたが、そんなムードがなんとなく日本にはあって、僕も多少それに染まっております。六本木ヒルズクラスの建物が、あのような大きさのまとまりで展開していくことのリアリティがどれくらい検討されているのか、こうなったらすばらしい、ということをメンバーが完全に共有して進んでいるのかという点をお聞きしたいのですが。

──会のメンバーそれぞれで解釈の仕方が違うという言い方が正しいと思います。逆に、解釈の違いがあるままで走っている点がよい。森ビルが考える20、30年後の絵を出しましたけれど、あの絵のように進むために誰がお金を集めてくるのかという疑問もあります。現実的な話とかいうと、それは可能かもしれないけれど、本当にお金が集まるかというと、そこまでいかないかもしれない。そういう思いでやっている方もいるだろうし、リアリティがあるように何とかしたいという人もいる、もちろん社長の森稔はリアリティがあると思っている。いろいろな人たちが集まって、ある所だけは共有しているというのが、この議論のよさだとは思います。

松村──本さんは、同じ建築関連とはいえ、もともと日建設計にいらしていながら、森ビルという業態がまったく違う会社に、一番脂の乗りきっている年代に移られたことについてはどうでしょう。

──2006年2月末で移って4年になるのですけれども、移る前1年くらい、森ビルの設計部は構造、設備を合わせて100人くらいがいるわけですけれど、六本木ヒルズのために大勢が出払っていて、次の仕込みのプロジェクトができないから、一緒に何か考えてくれないかということで、1年間一緒にやっているうちに引き込まれたわけです。それまで設計事務所にいたのですが、森ビルには設計事務所とは違う視点がありました。ちょうど建築界がおかしいと思っていた時期で、建築家は本当は建築や街を語っていたはずなのに、実際はステンレスがどう見えるか、繰り返しがきれいだとか、ガラスがどうだったらよい、ということばかりを話している。雑誌を見ても、透明なガラスの作品ばかりで、どの作品を見ても、誰がやったかわからない、という感じを受けていました。パブリックアートをやっている人たちが世の中とコミニュケーションがどんどん出来るようになり、その反面建築をやっている人たちがどんどん世の中から乖離していくのではないかという不安感がありました。本当は1分の1から20分の1、50分の1、100分の1、1000分の1といういろいろな視点で考えるのがグランドアーキテクトのはずなのにと思っていました。そんなところに森ビルからお話が来たものだから、現場の色決めやディテールも大事だと思う一方で、並行して1000分の1、5000分の1も同時に見ることが大切だろうと感じたわけです。建築家は、そういう視点で見ることが本当は正しいのではないか、と考え、森ビルに移りました。

松村──働き方の話ですが、建築学科を出た学生が森ビルに就職して、ずっと森ビル的なスケールで仕事をしていくというのはどうなんでしょうか。本さんのように、建築的スケールでものを考えていく訓練を長い間仕事としてやられ、都市と関連づけるという強い意識で働いていらっしゃる場合と、建築科を出たばかりの学生がいきなり開発的な場所で働き出す場合の違いです。建築学科の学生も、森ビルさんやほかのディベロッパーへの就職が増えつつあるのですけれども、そういう人たちはどうなんでしょうか。

▲松村秀一氏


──昔と傾向が変わって、建築学科を出ているからもちろん建築はやりたいけれども、ほかの所でもよいという考え方があります。もちろん設計に配属されればそれなりに一生懸命やる。だけどそうではなくて、例えばタウンマネージメントでイベントもやったりします。ひょっとしたらそもそも建築家は、いろいろなことに対してアイディアや柔軟性を持っているのに、建築という自分たちで決めたもの(狭い枠)の中でしか動けなくなっているためにダメになっているのかもしれない。むしろ、そういうイベントも含めて建築だろうと思います。僕はこの間、I.I.Tにあるレム・コールハースの《学生会館》とミース・ファン・デル・ローエの《クラウンホール》を見て、ものすごくショックを受けました。しかしどちらが好きかというと、《クラウンホール》です。50年間変わらない作品のほうがよいと思う。ところが、レム・コールハースの《学生会館》を見るとやはり面白い。ある部分にはものすごくお金を使って、ある部分はすごく安っぽいつくりになっていて、バランスはめちゃくちゃです。5年くらいたったら壊れてもよい、という居直り方でつくっている感じがしました。そこで「建築の価値観が全然変わってきているのだ」と思いました。そうすると、今まで僕が信じていた建築ももちろん建築だけれど、それは長くもたなくてもよい、あるいは映像のように消えてもよいということで、そういうことも含めたものが建築になっている、という時代になっているのかもしれない、と感動したり、同時にショックも受けました。だから学生たちのまた世の中の建築に対する価値観が明らかに変わってきています。もちろん、一方で建築界が守らなくてはいけないこともあると思いますが。

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