プロローグレクチャー
●法律の問題と区分所有法
難波――話の最後に、求道学舎の再生が可能になった条件をリストアップされましたが、法律の問題に絞って考えた場合、世の中の趨勢は、そういう条件が出そろい、リノベーションがスムーズに可能になるような方向に向かって動いているのでしょうか。それとも、依然として難しい状況にあるのか、どちらなのでしょう。

田村――私が全体像を把握しているとは思えないので、自分の経験からお話しますが、少なくとも裁判制度はものすごく変わってきていると思います。陪審員を入れるとかいう話だけでなく、裁判所の意識が変わってきています。例えば、同潤会のマンション建替えの時に、一審の東京地裁から、東京高裁、最高裁までに2年かかっていないんです。千里の桜ヶ丘の裁判は7年かかっていますから、そういうものには早めに取り組んでいかなければいけないという意識が生まれてきている。麻布パインクレストの裁判の時、建物の状況は実際にかなりひどかったので、最初に評価書に「老朽化している」と書いたんです。当時は老朽化要件が建替え決議の大事な要件でしたから、裁判官は築28年の物件が本当に建替えを要するほど老朽化しているのかどうか判断するために、自ら見に来られたのです。それで私は壁の赤錆が出ているところに案内して、軍手でコンクリートに触ってもらい鉄筋が露出している状況まで見せて、なるほどと納得していただいたのです。裁判所の中だけで判断しないで現場を見たことで裁判官も和解を強く勧めてくれて、一審の判決の前に和解して、ある人は買い取る、ある人は参加するということになりました。法律そのものの枠組みにまだまだ不十分な点もありますが、そういう意味で裁判官自体も変わってきていて、その部分はよくなってきていると感じています。

難波――そういう状況がもう少し進んで、裁判官や弁護士が建物の文化的な価値も評価してくれるようになればすいいですね。もう一つ気になったのは「権利関係の単純化」という条件です。現状のマンションは土地も建物も区分所有が原則ですが、今後は区分所有でない方向に進むのでしょうか。

田村――残念ながらどんどん区分所有建物が増えています。区分所有建物の最後の処理の仕方についての知恵は円滑化法ができたり、区分所有法が改正されたりということで、こと足りていると思っているのかどうかわかりませんが、根本的な対策はできていないままです。やはり私は、建替えができるのは経済的な条件もありますから極めて恵まれた例だと思います。それから、価値があるからといってみんなが保存しようという建物もまれな例だと思います。そうでない一般の建物については、管理をしっかり行なって、従来の大規模改修ではなく、もう少し知恵を絞った新しい付加価値をどうつけるかを考えていくことが大事だろうと思います。例えば耐震改修や、以前、公団がバルコニーにユニットバスをつけたのも新しい付加価値かもしれません。コーポラティブとかコンバージョン建替えなどをやっていて思うのは、日本人は集団で意思決定する訓練ができていないということです。私が見る限り、江戸川アパートメントの住民は集団で意思決定する訓練が一番できていた人たちです。理事会では活発な議論が行なわれて、最後にまとめた結論に従って理事は他の方々に伝える。それは自治の歴史を何十年も続けてきた財産かなと思いました。あのような知恵をどうやって一般に広げるか。江戸川の場合は、コンサルタントの立場というよりはいつも勉強しに行っていました。

▲太田浩史氏

●価値がなくなったマンションをどうするか
太田――先ほどのストックのグラフでは、73年以前のストックが30万くらい、それから新耐震の前は67万と書いてありました。ということは、これからその67万のストックを立替える、次の波がくるのではないかと思うのですが、いかがですか。

田村――実は老朽化マンションの問題はどんどん深刻化しています。国交省の発表したデータは平成13年までしかないので民間のデータを集めてみてびっくりしたんです。13年の段階で、全国で17万戸だと言っていたものが16年末には首都圏だけで30万戸もある。そういう勢いで増えていくわけですが、それにどう対応していくかは、やはり、国は円滑化法をつくって安心したのかなという感じはあります。建替えに至らないマンションがほとんどだとしたら、ではどうするのか。単に管理の質だけでなく、建築の側からするべき提案もあるだろうし、その辺を考えていかないといけないという気がします。

太田
――コミュニティの話ですが、求道会館や同潤会は比較的イメージしやすいのですが、麻布パインクレストのような建物の場合は、コミュニティはないに等しく、住む人は次々と交代していっているわけですよね。コミュニティがない状態の建物が今後増えてくると、住む人は別に裁判もするつもりもなく、建替えの話が出てきたら次のところに移り住む。そのように交代が増えて、ある意味、リノベーションの動きも自動化されていくと思うのですが、そのような理解でよろしいんでしょうか。

田村――100件あるとしても建替えがちゃんとできる条件が整ったマンションは1、2件しかなくて、実際はほとんど建替えできないんです。容積率にしてもすでに目一杯使っているか、昭和40年代の半ばから後半にかけてのものは既存不適格です。日影も当時規制がなかったし、斜線の規制も違うから既存不適格が多いわけで、そういうものに対しては、耐震補強して何とかやりくりしていくしかないわけですね。だから自動化されていくというようなイメージを、私はもっていません。
ある不動産関係の方にこの前聞いたら、とにかく坪百何十万とかではなく、四十何平米で総額百数十万円のマンションが相当あると言うんです。つまり誰も買わないようなものです。そんなのがあったら買いたいと思う人がいるかもしれませんが、使う価値がなくなったらマンションとしての価値もなくなるし、価値がないものはマイナスにもなります。日本は常に土地に価値があるという前提ですが、アメリカとの比較で考えてみるとわかりやすい話になります。80年代のアメリカの景気が悪い時期に、ボストンやフィラデルフィアなどのいくつかの都市では臨海部のウォーターフロントで開発が行われました。倉庫街などで治安が悪くなって使われなくなっていたウォーターフロントを再開発したわけです。この考え方はバブル期に日本にも導入されたわけですが、彼らがそれをできたのは土地代がマイナスになっていたからです。だから開発ができたのです。日本の場合はどんなに人通りが途絶えてシャッター通りになった商店街でも、地方都市の中心部であれば、結構いい値段がつくのです。それはなぜかというと課税のためで、地方税収の4割くらいが固定資産税と都市計画税でまかなわれる状態になっています。ですから地方財政上は土地代がゼロでは困るわけですが、もしも土地代がゼロに近くなれば、それを買い取って何か新しいビジネスやろうということになる。建物もそうで、土地と建物を含めて限りなくゼロに近くなれば、それを買い取って何かやることができるわけです。

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