Renovation Archives [095] ●公民館施設[集会所] 《誠之堂》
取材担当=三井嶺
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概要/SUMMARY | ||
創建当時の外観。煉瓦造、平屋建、屋根は天然スレート葺の小規模な建物である |
移築後の外観 |
東京都世田谷区にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていた建造物を埼玉県深谷市の大寄公民館敷地内へと移築復原した事例である。 1916年に第一銀行初代頭取・渋沢栄一の喜寿を祝って建てられた誠之堂は、銀行関係者の集会所として使用されていたが、71年に敷地の過半が聖マリア学園に売却され、同学園の外国人教師の居宅として使われるようになった。そして97年、学園の施設拡充計画にともない取り壊しの危機に瀕したが、渋沢栄一生誕の地である深谷市が譲り受けることになり、同市へと移築されることになった。移築にあたっては、可能な限り手を加えず歴史的価値をできるだけ損なわない構法が採用され、99年に移築復原が完成した。また、大正時代を代表する建築として評価されており、2003年には国指定重要文化財に指定され、現在は文化財として、また公民館施設として使用されている。 |
創建当時の大広間内観 |
移築後の大広間内観。カーテン、絨毯、シャンデリア、家具は創建当時の写真等からの推定復原である |
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設計概要 ●所在地=埼玉県深谷市 ●所在地(移築前)=東京都世田谷区瀬田 ●用途=公民館施設(以前は集会所) ●構造=レンガ造(切断したレンガ壁をPC鋼棒により固定・耐震補強) ●構造(移築前)=レンガ造 ●規模=地上1階 ●建築面積=113.30平米 ●延床面積=93.05平米 ●竣工年=1999年 ●竣工年(移築前)=1916年 ●企画=深谷市 ●施工=清水建設(株) ●調査および移築構法検討=清水建設(株) ●原設計=田辺淳吉(清水組技師長) ●原施工=(資)清水組 |
平面図。濡縁(ヴェランダ)付きの大広間を中心として,次ノ間,化粧所,玄関というプラン |
現状/PRESENT | |
清風亭外観。誠之堂の隣に建っていたこの清風亭も一緒に移築された |
誠之堂の煉瓦につけられた「上敷免製」の刻印 特記以外すべて写真提供=清水建設 |
■移築にあたって、オーセンティシティ★1の観点から見ると、場所、構造が問題となるのは避けられない。 場所については、移築先の深谷市は、渋沢栄一生誕の地である事に加え、誠之堂のおもな素材の煉瓦が製造された地でもあり★2、縁の深い土地への移築であったといえる。さらには、移築前、隣に建っていた清風亭と付近に植えられていた木々も一緒に移されているため、周辺状況も比較的保存されている。また、構造については、技術情報を保存する一方で、移築後も使い続けていくためには安全でなければならないため、耐震補強は避けられない点であった。 こうした移築のあり方は、確かに、場所・構造の点においてオーセンテシティに抵触するかもしれない。しかし、建築のもつ社会的性質は変化していくものである。構造的にも不十分な状態で、縁のうすくなった土地にしがみついて寿命を終えるのではなく、構造や設備を更新し、ゆかりのある地へと移築されることで、誠之堂は再び社会的な存在としての生を受けた。この移築によって新たな歴史を積み重ねていくことに期待したい。 ★1──Renovation Keyword「オーセンティシティ」参照。https://forum.10plus1.jp/renovation/keyword/002/02-001.html ★2──誠之堂の煉瓦には「上敷免製」(日本煉瓦製造[株]の工場地名、埼玉県深谷市上敷免)と刻印がある。なお、誠之堂からしばらく歩いたところに、重要文化財の「ホフマン輪釜6号釜」(日本煉瓦製造[株]所有)がある。
(三井嶺)
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