Renovation Archives [066]
渡辺哲夫
●公共場、営み
[寺院]
《起てること──寺跡地再興計画》
担当=渡辺哲夫(建築家/作家)
概要/SUMMARY
上:昭和35年頃の正寿寺
所蔵:中村俊郎

下:石段より寺跡地をのぞむ
上から順に
2004年7月6日
2004年11月29日
2005年2月4日
2005年4月19日
■廃寺となり、荒地と化した寺跡地を島根県大田市大森町の公共場として再生させる試みである。
本計画地である正寿寺は慶長10(1605)年、曹洞宗の寺院として開設されるが、本地域の人口減少にともない運営が困難となり、戦前に(時期はさだかではない)無住職、廃寺となる。その後、戦後の混乱期にあっては、数家族が入れ替わり住むこともあったようだ。やがて、人が寄り付かなくなると、寺院の建物は自然崩壊し、荒れるにまかせた場所となっていた。

ここで、この地域における廃寺についてふれておきたい。本地域は石見銀山地区に属し、17世紀初頭には、当時世界の産出銀の3分の1を占めたとされる世界有数の鉱山都市であった。最盛期には十数万人が暮らした大森町も、今では人口500人ばかりの高齢化の進む過疎地である。鉱山の閉山にともなう、急激な人口減少により、この地区には67箇所もの寺跡地が残された。現在確認できる8箇所の寺跡地のなかから、大森町の町並み(1987年、国指定重要伝統的建造物群保存地区指定)のなかほどに位置する正寿寺跡地を選定した。

活動を開始するにあたり、行政、地元自治会、お寺関係者とかけあったが、この土地の所有者は不明とのことである。しかし、曹洞宗本山には、いまだ土地の登記は残っており、いわば幽霊法人である。所有者不明では許可をとることは不可能であるが、この活動に異議を言う人もいない★。

2004年9月、40年以上見放されていたこの場所を、筆者の立案、声がけにより、まずは土地を切り拓くことからこの試みは始まった。2004年11月27日、もみじの苗木を植え現在に至る。

★──土地の所有者不明。曹洞宗本山には土地の登記有。行政、地元自治会、お寺関係者と協議の末、活動している。
設計概要
所在地=島根県大田市
用途=営み(以前は寺院)
敷地面積=870.70平米
竣工年=2004年9月〜(既存:1605年)
企画=渡辺哲夫
設計=渡辺哲夫
施工=大田市民

寺跡地プロット(島根県大田市大森町)
施工プロセス(草刈り)/PROCESS 1
2004年9月19日(作業人数:4名)
作業1日目。木や竹を切り倒す。主な道具は草刈り機とチェーンソー

2004年9月19日(作業人数:4名)
作業開始から2時間、休憩中の様子。切り拓いたわずかな場所に腰をおろす
2004年10月23日(作業人数:4名)
作業8日目。朝、現場に着くと、近所の人が石段を掃除していた。石段の掃除をする近隣の人

2004年11月13日(作業人数:3名)
作業15日目。切り倒した木や竹を撤去する。この後、草刈り機と鎌で草を刈る

2004年11月20日(作業人数:10名)
左:作業17日目。切り拓かれた現場には谷間から小さな小川が流れていた。小川を掃除する地元婦人会の人たち
右:作業開始から3時間後、差し入れの炊き込みご飯でお昼
施工プロセス(舞台)/PROCESS 2
2004年11月20日(作業人数:10名)
左:近くの山で切り出した孟宗竹を現場に運ぶ様子
右:仮設の休憩所づくり。竹をトラス状に4基組む。接合部は釘を使用せず縄で結ぶ
2004年11月22日(作業人数:3名)
左:仮設舞台づくり。杉間髪材の基礎の上に、竹のいかだを編む
中:仮設の休憩所より舞台をのぞむ
右:仮設舞台
2004年11月23日(作業人数:11名)
左:子どもが遊びに来るようになる
中:石段の下でゲームをする子どもたち
右:近くの山で採ったもみじの苗木を現場に運ぶ。約80本
施工プロセス(もみじ)/PROCESS 3
2004年11月27日(作業人数:60名)
左:町の人にもみじを植える提案をするポスター
右:正寿寺跡地全景
左:廃寺供養に、線香を供える
右:近所のN氏によるオカリナ演奏
左:地元の人発案の焼きいも
右:「舞台の背景をつくって下さい」。筆者の呼びかけに応え、もみじの苗木を植える人たち
2004年12月9日(参加人数:15名)
正寿寺跡地検討会の様子。
土地の権利問題の説明、今後の利用法の検討がなされた
施工プロセス(2005〜)/PROCESS 4
2005年2月4日
冬。積雪

2005年4月22日(作業人数:3名)
春。草刈りの様子
2005年9月8日
夏。草木の成長。立ち入ることもできない。

2005年10月16日(作業人数:2名)
再び、草刈りからはじめる
2005年10月30日(作業人数:4名)
左:約1年経過し、劣化した仮設の休憩所を壊す
右:もみじを手入れをする様子
現状/PRESENT
再び切り拓き、現われた空間
■この計画は、筆者の修士制作(2004年度、東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了作品)の一環でスタートした。こう書くと、どこか語弊があるかもしれないが、公共の場所をつくりたいと考えてはいるけれども、まずはじめに、この場所をどうしたいとか、どのように再生させたいという明確な意思、目的があったわけではない。
ただ、こういう事実はあった。作業を継続させ、少しずつ土地が拓け、場所らしいところができてくると、少しずつここを訪れる人は増えはじめ、もみじを植える提案など、いくつかの企てを町の人に投げかけると、次第に作業する人の意識は、「手伝う」から「参加する」という主体的な関わりへと変わっていった。次はコンサートをしようという人もいれば、筆者がいなくなってからも、子どもたちは、ここを絶好の遊び場としていたようだ。
漠然と考えていた公共場。ここでは、個人が公共として場所を、自分のこととして考える余地が残されていたのではないか。その都度、変化する状況のなかで、それに順次対応するすべも、適切な予想をめぐらすすべも、残念ながら、私は持ち合わせていない。しかし、この場所では、ここで起こることのみが、ちょっと先の未来を決定づけていくように思う。
さて、今後。これからもこの場所で起きることを丁寧に観察し、個人的な興味に忠実に、また草が伸びたら刈るだろう。
(渡辺哲夫)
Archives INDEX
HOME