Renovation Archives [044] 千代田設計/保存活動「旧東方文化学院の建物を生かす会」 ●学校[研究所] 《拓殖大学国際教育会館》
取材担当=新堀 学
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概要/SUMMARY |
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左:正面階段 (*A) 右:エントランスホール |
■拓殖大学国際教育会館はその前身を「東方文化学院東京研究所」といい、1933年に建設された外務省の中国研究所であった。戦後は日華協会、外務官吏研修所などを経て、95年まで外務省研修所として利用されていた。 原設計は東京大学キャンパスなどの設計者で知られる内田祥三(1885-1972)である。天理学園(1932)などに並ぶ和風・東洋風意匠のデザインは帝冠様式と混同されがちであるが「日本趣味建築」と呼ばれ別のものである。景観デザイン的に見てもその屋根の意匠は特徴のあるものである。 この建物が現在の形になるにあたっては、2000年春を起点とする、「旧東方文化学院の建物を生かす会」の活動に多くを負っている。建物を媒介にして、学識経験者、建築職能者、市民、文化人がネットワークを作り、次のバトンを受けた拓殖大学にソフトランディングさせることで「まちのメモリー(前野まさる東京藝術大学名誉教授)」としての建築を次の世代へと引き継ぐことができた事例である。 |
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設計概要 ●所在地=東京都文京区 ●用途=学生会館(以前は研究所) ●構造=鉄筋コンクリート造 ●規模=地下1階地上3階 ●敷地面積=5017平米 ●延床面積=2741平米 ●竣工年=2002年(既存:1933年) ●工期=2001-2002年 ●企画=拓殖大学 ●設計=千代田設計 ●施工=大林組 |
現状/PRESENT | ||
上左:前庭と建築 上中:エントランスポーチ 上右:階段ホール 下左:コーナー 下右:講義室(旧食堂) |
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■「保存」という選択肢/「保存」の中の選択肢 丁寧に補修、修復された、外観、屋根は、まだまだこの建物が生きていけるということを表わしている。風合いが違うとか、サッシュがオリジナルでないとかという感傷はあるが、それに流されることなくきちんと現在形で生きているということがよくわかる現況である。 中に入ってもこの建物の場合、どちらかといえばクリティカルな性能に対する要請があっての操作ではなく、むしろ「できる範囲で」それなりに使うという至極あたりまえの対応がなされていることがわかる。どちらかといえば、まっすぐな問題解決型の回答である。 「保存=オリジナルに忠実」という立場から考えると、厳密に原型原理主義で解釈すれば、それらの操作はあくまでもノイズであり、不純物だとされてしまうのかもしれない。しかし、当事者たちは、より高い視点に立ち「建物が残る」ことを選んだ。 古い建物が現時点での社会的要求にそのまま応えられるとはかぎらないという事実を受け止め、「オリジナル」を忠実に再現するという原則を譲ることで、「まちのメモリー」としての建築は残ることになった。 「旧東方文化学院の建物を生かす会」の会長である前野まさる東京藝術大学名誉教授の「建物が残るための5要素と3原則」★1に照らし、「メモリーとして残る」という「存在」を獲得したということは、建築レベルでなくまち全体の中で「何を残すべきか」という判断の点からいえば、非常に大きな結果だといえるだろう。 ところで、この建築のスケールは写真で見るより大きい。ちょうど東京大学工学部1号館と比較対照となるスケールであり、構成である。たとえばその中庭の利用方法を比較してみると、残すもの、更新するものへの考え方の違いが見えてくるところは興味深い。 ★1──前野まさる(東京芸術大学名誉教授)提唱の「保存の五要素と三原則」 五要素: (一)芸術性、(二)記念性、(三)稀少性、(四)なじみ性、(五)利便性 三原則: (一) 都市・建築の性能を高めること。( Livability ) (二) 都市と住環境の保全を計ること。( Cleanliness for Environment ) (三) 都市・建築の価値を表すこと。( Visible Value )
(新堀 学)
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