Renovation Archives [018]
I
宮本佳明
● アトリエ[住宅] 《「ゼンカイ」ハウス》
取材担当=新堀学

概要/ SUMMARY


左:リノベーション前外観ファサード
右:リノベーション後

空間の記憶/生活の記憶
この
《「ゼンカイ」ハウス》プロジェクトは阪神淡路大震災によって、被害を受け「全壊」判定を受けた木造の長屋一棟を重量鉄骨によって補強し、アトリエに転用したリノベーションである。
公費解体補助の申請を取り下げてまで自分が生まれた築100年の元の長屋を残したいと宮本は考え、2年がかりでこの鉄骨と木造が絡み合った二重構造のような空間をつくり上げた。
既存の木造(と地面)は震災によって捻じ曲げられ、基準にできるラインが1本もなかったという。建設途中も刻々と各部材が変位し、図面上はブレースが通るはずであった穴の位置も現場で建て方の折に再度変更しなければならなかったという。
木造の軸組と人の動線を避けて残された空間を潜り抜けるように配置された鉄骨の構造が、既存の長屋のインテリアの日常性と衝突する様子は、しかし現実に体験してみると思うほど生活に不自由ではない。
目に見えるの「もの」は、木造の既存の軸組のシステムと鉄骨のシステムだけであるが、それぞれの間にもうひとつ人間の営みの空間のシステムが確保されているからだ。この、過剰なまでに見える鉄骨の採用には、実はこれからの100年という寿命を目指すことのほかに、上への増築という未来への期待がこめられているという。「リノベーション」という概念が、オリジナル優位の規範に縛られる「保存」でもなく、「新しさ」こそ「よきもの」であるとする浅薄な「新築」至上主義からも自由な、「人の営み」と交差する「空間」や「建築」の価値平面を考えることを可能にした今現在、あらめてこのプロジェクトを見てみると、まさに人間の動機と空間とを取り結ぶリノベーションの事例として取り上げられるべき何かがあるように思う。


上:リノベーション後内観
左:配置図
所在地=兵庫県宝塚市
主要用途=アトリエ
構造=鉄骨による木造の補強
敷地面積=55.97平米
建築面積=44.85平米(建蔽率79.80% 許容80%)
延床面積=88.78平米(容積率157.97% 許容400%)
1階43.93平米 2階44.85平米
建築=宮本佳明/アトリエ第5建築界
監理=宮本佳明/アトリエ第5建築界
施工=中村組
設計期間=1996年3月〜1997年5月
工事期間=1997年5月〜同年12月

プロセス/PROCESS

構造アイソメトリック
ダイヤグラム:大黒トラスによる水平力の負担と、建物の前後の異型ラーメンをレベルの異なる梁で接続する既存の木構造は、耐震構造としての役目を鉄骨に譲り渡すことになる


工事現場
左:隣家解体
右:既存木造軸組みの補強

左:地中梁設置のための掘削
右:鉄骨フレームの設置

左:建て方の様子
右:外装工事
1階平面図
2階平面図
左:南立面図
右:北立面図
左:南北断面図
左:東西断面図図
右:上に伸びる模型
現状:2004/PRESENT
内観
左上:内観、居間より大黒トラスを見る
右上:内観、右手に見えるのが大黒トラス
中2点:貫通部ディテール
左:大黒トラスとトップライト
左:現況
■コメント
このプロジェクトが発表された1998年の当時は、まだ「リノベーション」という言葉がこれほど人口に膾炙する前であり、宮本自身も「修復」という言葉で自らのプロジェクトを説明していた。しかし、既存の木造の軸組みとずれながら絡み合うかのように、別のシステムとして「介入」している鉄骨の構造は、「修復」という言葉の域を超えた名づけようもない何物かであり、理屈でない動機の存在を表していると感じたのを覚えている。
この《「ゼンカイ」ハウス》の「理屈でない」行為を、宮本の使った「修復」という言葉で説明しようとすることはどうしても了解しにくかった。これらの言葉の背景にはオリジナルにこそ価値があるという「オーセンティシティ」の価値体系があり、それを前提とすると元の町屋を破壊しているようにさえ見える鉄骨の補強構造が不調和に思えたのだ。
この《「ゼンカイ」ハウス》が第二の生を受けてまもなく10年にならんとする現在、周囲の町並みは何事もなかったかのように復興し日常を営んでいる。「復興」という言葉さえ過去のものとされ、震災当時の日々が白紙化されてしまった現在において、発表当時センチメンタルにも見えたこの《「ゼンカイ」ハウス》の「意地」とはやがて訪れる「忘却」への抵抗でもあったことが今あらためて認識される。
「保存」から始まる議論は、ともすれば「もの」に縛られるあまり、場所や出来事との関わりを無視する方向に流れがちである。しかしその「もの」の大切さとは、それに関わってきた/関わっている人の営みを抜きにしては語り得ないのではないだろうか。
《「ゼンカイ」ハウス》は、震災という抗いようのない状況に抗おうとする一人の人間の声を、空間に刻まれた記憶を保存するための空間をつくる/守る形で表明したと見ることもできる。
そしてその行為が「建築」という形をとったことによって結果的に事後の忘却に対する防波堤ともなっている。この《「ゼンカイ」ハウス》は、個人と地域の二重の「記憶の器」となっている。
記憶する空間はすなわち記憶された生活であるということを、この「ゼンカイ」ハウスは存在によって示し続けていくのだろう。(新堀学)
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