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FORUM No.06(2007.3.19)

松村秀一
「200年住宅」と住宅産業の未来

LECTURE02

日本の住宅の寿命は短いのか

松村──日本の住宅の寿命は短いと言われる背景にあるデータですが、国土交通省が出しているデータを見ると、アメリカの住宅は建ててから壊すまでの平均年数が50年ぐらいで、日本は27年ぐらいです。しかしこれは危ういデータで、日本には特に都市部においてはもともと戦前の住宅のストックがありません。戦争で都市部は焼け野原になりましたから、戦前から建っている建物がほとんどなく、建築年数がみな若いものです。ですから、昔からの建物があるなかで何年目に壊したか統計をとれているアメリカとは数字が全然違ってくるわけです。日本の住宅寿命が短いように思えるひとつの大きな理由は、戦前の建物がほとんどないことです。これは建物が粗悪だったからではなく、戦争で焼けたからです。
住宅の寿命が短いとしても、ハードな意味で、つまりものとして「200年住宅」を建てることがどういう意味をもつのか。自民党の方々が旗を振って政府もやる気になって、予算もついて「200年住宅」を建てることは、建築業界の単なる自己満足になるという結果がはっきり見えていると思います。過剰投資です。何故なら、明治・大正期から建築の世界の一番大きなテーマは耐久性でした。耐久性を考えない建築の時代は全くないのです。長く持つ堅牢な建物をつくりたいと技術を開発し、ヨーロッパからいろいろな技術を勉強してきました。しかし明治・大正期に当時の技術やデザインの粋を集めて建てられた多くの名建築ですら、いともたやすく取り壊されてきたという事実がある。粗悪だから壊されるのかというとそうではなく、時代が変わったからです。例えばfig.2を見て下さい。「丸の内」と書いていますが、例えば丸の内に1930年代に建てられた東京中央郵便局という建物があります。建築の世界では有名な建築で吉田鉄郎が設計したものです。色っぽいところがなく、禁欲的な建物なものですからなかなか一般受けしにくいかもしれませんが、建築の世界では時代を画した建物であり、階高も高いしプロポーションも美しい立派な建物です。

fig.2


今の安部首相が幹事長だった頃だと思いますが、郵政民営化についてテレビで討論をしてました。その時に、郵政民営化すると民間活力が導入されて古い東京中央郵便局は壊して新にきれいな超高層ビルを建てることができる、それが民営化のよいところだというようなことを仰っていました。僕は愕然として、民営化というのはそういうことかと思いました。あの建物は1930年代に建ったけれど、ほっとけば200年ぐらい持つのですが壊すわけです。今一生懸命「200年住宅」と言って建てたものが、壊されない保証がどこにあるのか。50年ぐらいで壊されるのなら、50年で壊れるように設計をしておくのが過剰投資にならないわけです。法律も変わらない、建築技術も進歩しない、経済状況も消費者のライフスタイルも安定していて、気候等の環境条件も22、23世紀を通じて変わらない、200年間すべてが安定していると保証できたら「200年住宅」は初めて実現できると言えますが、すべては変化します。だからハードで「200年住宅」を目指すのは、技術の夢としてやる分にはよいとしても、政策的にやるテーマではありえない。日本で100年を越える建築はいくらでもあり、例えば伊勢神宮がそうです(fig.3)。ただ、伊勢神宮は式年遷宮で20年毎に建て替えることでその形式が続いているだけです。ものそのものが1000年以上もっているわけではなく、ものそのものは20年毎に建て替えている。20年というのは技能のジェネレーションが変わるのとマッチングしていてちょうどよいという説もあります。岩国の錦帯橋は最近架け替えて話題になりましたけれど、50年毎に架け替えることが決まっています。だから岩国の錦帯橋は何百年ももっているように見えますが、今あるのは去年架け替えた橋です。もちろん建て替えるだけではなく定期的な解体修理をしています。50年も経つと一度解体してすべてきれいにして、使えるものと使えないものを分け、傷んだ部分を取り替えてまた建て直すということを桂離宮や東大寺はやっているわけです。だから200年もたせる建築の仕組みが日本にないのかというと、こういう形であります。ただ、何もせずにものとして200年もっていることはありません。

fig.3


住宅建設と住宅の寿命については、戦前建設した多くのストックを戦災で焼失したために見かけ上住宅の寿命が短く見えるということのほかに、もうひとつは、そうはいっても短いサイクルで建て替えたものが多い「高度経済成長期に建設した住宅の水準の低さ」があります。fig.4は1945年から2005年までの新設住宅着工戸数の推移です。

fig.4 [拡大]

戦後GHQの統治がなくなって1951年ぐらいから徐々に着工戸数は増え、高度経済成長期と一致している伸び方です。1955年には年間にたかだか20万戸しか住宅をつくっていないのに、1973年になると190万戸がつくられ、ほぼ10倍になっています。この間に建てた住宅が最近15年ぐらいの間に壊されてきました。この時代の普通の住宅はほとんど平屋建てで狭く、部屋は3部屋ぐらいしかありません。設備は汲み取り式のトイレで、風呂も風呂屋さんに行っている人が結構いました。ところが昭和50年代になると、もうそのような家に住んでいられなくなる。つまりトイレは汲み取りではなく、内風呂でないと気分が悪いし、平屋住宅はもうないと思われていました。そしてこれ以降、建て替えが起こるわけです。高度経済成長期に建設した住宅の水準が低いというのは、住宅の質が悪かったのではなく、今の生活から見たら面積的にも設備的にも水準が低かったので取り壊されたわけです。
さらに「土地担保主義による豊富な建設資金融資」がこれに拍車をかけました。土地があれば金が出てくるという経済の仕組みがあり、土地を担保に金が貸りられ、どんどん住宅建設資金が出てくる。しかし現在これは大きく変わって、土地の値上がりが期待できなくなり、もはや土地を担保に豊富な建設資金が自動的に出てくる時代ではなく、建てたものでどれだけ収益が上がるかでしかお金が出てきません。

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