INAX住宅産業フォーラム INAXE´tE´HA°[E´a^E´A¨E´VE´a¨A°[E´Y
FORUM No.01 (2006.6.19)

野辺公一
市場における工務店という存在──地域マスター工務店登録運動の軌跡

SESSION03

新築ゼロで成り立つ市場をどのようにつくるか

山本想太郎──私は設計事務所を主宰しているのですが、今日のお話を伺って非常にまずいという気持ちになりました。われわれ建築家も住宅という市場からある分け前をいただいているわけで、設計施工をやる工務店さんは競合相手と思っているところはあるのですが、市場全体が小さくなってしまったら、どうお金を分配するか、どこに比重をおいて業界を維持するかということになって、下手すると設計という業務には分配されない方向にいってしまうという不安感があります(笑)。
私は新潟の「大地の芸術祭妻有トリエンナーレ」で民家の改修を手がけていて、地元の多くの工務店さんとお付き合いしていますが、その地域では先ほどのお話にあった「家を守る」という視点が重要で、毎年大雪が降るのでその修理や雪かきを工務店さんがやっています。そういう工務店の方とお話をしていると、なぜ設計という人間がいるのかよくわかっていただけない(笑)。この人は何だろう、という目で見られます(笑)。
そういった状況からも思うのですが、住宅市場が縮小している問題も、どういう視野をもって何とかするのか、という話になると思います。よい工務店を選別することによって業界として成立させようと考えるのか、あるいは市場規模自体を大きくする努力をするのか、ということです。社会資本的な問題ですが、日本の経済として動いているお金のうちのどのくらいが住宅に注がれるのか。そこの部分まで含めて改善していく、という視点に立ったときに初めて建築家という職能が機能し始める。そこまで広げないと住宅建築家は生きる道がないと思います。それはINAXさんのようなメーカーも同じだと思います。そこでお聞きしたいのですが、野辺さんは何を膨らませ、どの部分を改善しようとお考えなのでしょうか 。

山本想太郎山本想太郎氏

野辺──どのようにして新築ゼロで成り立つ市場をつくるのかです。家族単位で住むということは残るのでしょうが、その家にどういう人が住むのかが見えない。その見えない部分をきちんと考えるのが建築家の役割だと思います。これまで工務店は建築家が大嫌いでした。なぜかというと、ろくな図面もかけないのにデザイン料だけ要求してかつ現場の監理もできない(笑)。しかももっと悪いことは、工務店の技量を判断できないから特命で工務店に仕事を頼むことができない。そこで、適当に合い見積もりを取って、安いところに発注。そこから平気でデザイン変更なんかして、工務店を泣かせても、ぜんぜん平気。一緒につくっている、という感覚がないんじゃないか、と思いますね。だから、できることなら事務所の仕事はしたくないというのが常識でした。しかし、最近は設計側も工務店のやりたいような収まりでよいからやってください、という形のイコール・パートナーになる事務所も現れてきた。ま、仕事が減って謙虚になってきた、というところでしょうか。
市場のパイそのもの確実に小さくなるし、リフォーム・マーケットがそれほど広がるかというと期待できない。そうした市場存在として考えるのではなく、地域存在として、暮らし方支援というとオーバーですが、例えば福祉、医療との連携などを建築家は真剣に考える時代になっていて、これまでのように建物のことだけを考えていればよい時代は終わっています。設計事務所は工務店よりはるかに早い速度で消えています。その理由はたったひとつで、後継できないからです。そこが工務店のもっている技能性との違いです。

山本──私のイメージとしては、野辺さんのような方も建築家の競合相手です。工務店選びもわれわれ建築家がユーザー側に立って代行する仕事で、合い見積もりをとるというのもそういうことです。
部分的な知識について言えば、例えばシックハウス問題のようなものについても、現在の建主はかなりの知識をもっています。場合によってはパースを描いてきてこのような部屋にしたいと言ってくるようなこともあります。すると意匠デザインと図面描きしかやらないような建築家は職能として成り立っていかない。やらなくていはけないのは、建築ができ上がるまでの複雑な状況の全体像を把握して、その中でバランスの取れた回答を提示することです。お金の問題、工務店選びや時間のコントロール、対行政的折衝といったすべてを交通整理し、それらを読み込んだ上ですぐれたデザインを提示するのが住宅建築において建築家が果たす主な役割と言ってもよいと思います。

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