Renovation Interview 2008.8.22
リノベーションのプロセス──歌舞伎町まちづくりの作法
[座談会]平井光雄×橘昌邦×林尚恒 進行:倉方俊輔+新堀学
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平成7年に閉校となった旧四谷第五小学校は、吉本興業株式会社によって、2008年4月に同社東京本部へとリノベーションされました。
小学校からオフィスへ。今回のリノベーションにあたって、建築物の歴史的価値はどんな意味を持ったのか。また、隣接する歌舞伎町のまちづくりとはどのような関係を結びながらプロジェクトは進行していったのか。歌舞伎町のまちづくりを担当する新宿区区長室特命プロジェクト推進課長の平井光雄氏、まちづくりについての豊富な経験を持つアフタヌーンソサエティの橘昌邦氏、そして、吉本興業東京本部移転プロジェクトを先導した同社総務・人事センターの林尚恒氏にお話を伺いました。
また、設計をてがけた荒木信雄氏にも、設計趣旨をはじめ、広く建築の保存について語っていただきました。

歌舞伎町のまちづくり戦略
倉方俊輔 まずはじめに新宿区が取り組まれている「歌舞伎町ルネッサンス」と旧四谷第五小学校の関係をお話しいただけますか。
平井光雄 歌舞伎町ルネッサンスは、歌舞伎町を誰もが安心して楽しめる街に再生するための取組みです。歌舞伎町の将来ヴィジョンは、「エンターテイメントシティ──大衆文化・娯楽の企画、制作、消費の拠点」です。映画、演劇、音楽などといった大衆文化・娯楽のための施設だけではなく、その周辺産業、つまり企画・制作部門も集積させて街を変えていこうというものです。
歌舞伎町は戦後つくられた街で、当時の町会長の鈴木喜兵衛氏が、子どもから大人まで楽しめる健全な娯楽街建設を計画しますが、志半ば挫折してしまいます。しかし、その際にコマ劇場周辺に象徴される劇場街の礎がつくられたという歴史があり、喜兵衛氏の遺志を受け継ぎ、歌舞伎町を再生する取り組みを進めております。そしてルネッサンスの拠点のひとつとして旧四谷第五小学校を活用していくということです。ちなみに歌舞伎町という町名も歌舞伎劇場建設計画に由来します。
平井光雄 平井光雄氏
倉方 歌舞伎町ルネッサンスという名前がついて始まったのはいつごろですか。
平井 平成17年1月に「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」を設立して本格的にスタートしました。
倉方 構成メンバーはどういった方々ですか。
平井 地元、事業者、有識者、区、警察、消防、入管、東京都、国の省庁ですね。そういった方々に参加していただいて、より多くの視点からご意見をいただいております。いわゆる官民連携協働による取り組みです。有識者の委員には、各界の著名な方々、初代内閣安全保障室長の佐々淳行さん、建築家の安藤忠雄さん、都市再生戦略チーム座長の伊藤滋さん、作家の堺屋太一さんなどにご参加いただいています。こういった方々の言葉というのは重みがあって発信力があることから、各界の第一人者の方々に委員となっていただいています。
倉方 旧四谷第五小学校のリノベーションは、歌舞伎町ルネッサンスとリンクしている取り組みのようですが、閉校になったのはいつですか?
平井 平成7年に他校との統合で閉校となりました。
倉方 10年以上前ですね。この建物をつかっていこうという話と歌舞伎町ルネッサンスの話が繋がりはじめたきっかけはなんですか。
平井 新宿区内には閉校になった学校がいくつかあり、いろいろと活用されていますが、旧四谷第五小学校については、閉校後の活用がずっと決まらない状態でした。耐震上や設備上の問題があり、会議室や書庫、放置自転車置き場といった一時的な使用のために使われていました。
一方、歌舞伎町の安心・安全のまちづくりとして行なっていた違法風俗店等の取締りによって生じた空き室、空きビルに同じような店がテナントとして入るといった悪循環が危惧されました。風俗産業を基盤にする街には、持続的な発展は望めません。こういったことから歌舞伎町ルネッサンスが目指すヴィジョンを共有する大衆文化・娯楽に関わる事業者を誘致する「喜兵衛プロジェクト」の取り組みがはじまったわけです。
こうしたなか、第4回歌舞伎町ルネッサンス推進協議会(平成18年10月23日開催)の会議の場で、地元の歌舞伎町商店街振興組合から、イヴェントなどを開催して地元としても歌舞伎町再生に向けてがんばっているがルネッサンスの大きな起爆剤が必要であり、旧四谷第五小学校を活用できないかという話がありました。それを受けて、厳密には旧四谷第五小学校は歌舞伎町ではないのですが、喜兵衛プロジェクトでがんばってみようかということで検討をはじめました。
旧四谷第五小学校旧四谷第五小学校、外観
倉方 喜兵衛プロジェクトというのは具体的にはどのようなものでしょうか。
橘昌邦 弊社(アフタヌーンソサエティ)は神田で新しいまちづくりの手法である家守事業というものに取り組んでいまして、さきほど平井さんがお話しされた空室対策のひとつとして歌舞伎町にも導入できないかという話をいただきました。
家守とは江戸時代の長屋の大家さんのことで、長屋の管理や店子の面倒見、さらには町の差配まで行っていた職業です。神田では、この家守が中心となり、街が目指すヴィジョンを実現していくために、地域の低未利用不動産の活用や、これらを受け皿とした人材、企業の誘致、彼らを起点とした街のコンテンツの創造、さらにはさまざまな地域プロモーション活動などを行なっています。ビル空室問題を根本的に解決するためには、個別の建物の問題を解決する以上に、街の問題を解決し、街のエリア価値を高めていくことが不可欠なのです。
歌舞伎町では同様の活動を行なっていくため、活動母体として喜兵衛プロジェクトというものを立ち上げることになりました。
歌舞伎町は大衆文化、娯楽の企画、制作、消費が一貫して行なわれる街を目指しています。そこで、これらの分野に関係する人や企業、組織などを誘致し、街と結びつけることで、そこから歌舞伎町ルネッサンスのヴィジョンに合致したいろいろな文化/経済活動を生んでいく、そのプロセスを作り上げたいと考えました。歌舞伎町というのは街の力が強いので、神田でやったような細かいSOHO型の空室を埋めていくようなやり方ではなかなか成果が出にくいのです。もちろんやる価値はあるのですが、最終的に街の方々、あるいは外の方々に歌舞伎町は変わったぞとイメージを見せるのがとても大事ですので、そのためには強い情報発信力を持った人や企業を誘致したいということで、そういう方々に初期段階からいろいろ声をかけてまいりました。»
橘昌邦 橘昌邦氏

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