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●植物が住む家

塚本由晴
▲塚本由晴氏

塚本由晴――今回の《植物の家》[TOPページ地図:R3]は貝島桃代と一緒に考え、筑波大学の貝島研の学生と一緒にやったものです。われわれは青木さんや日埜さんとは違って、最初は都市の研究のほうから入ったものですから、ずっと水戸の街を歩き回っていました。街を歩いた印象として、駐車場が多すぎ、それが街の連続感を阻害しているというのがありました。建物が使われている状態から何らかの理由で使われなくなって閉鎖され、さらにそれが場合によっては不良債券化し、銀行などが入ってくると建物はすぐに壊されてしまう。そして空地の状態のほうが次のテナントや買い手がつきやすいということで、どんどん建物がなくなっていく。なくなった状態で多少お金が稼げるので駐車場として運営していくというかたちで水戸の街というのが変化してきていると理解したんです。
しかし駐車場ばかりの街というのは歩く楽しみがなくなって楽しくない。せっかく2キロくらいの商店が続いて、コンパクトなかたちで街区もまとまっているような街でありながら、ズタズタにされているという印象がありました。銀行が入ってきて建物を更地にしていくということは、空間をどんどん交換可能な状態にしていくとことだと思う。誰かが30、40年使った建物がその土地にのっていると何となくそこで次にやろうとすることが思い描きにくい。もっと直接的には解体費用を土地を買ったときにもたなくていいということが理由なのかもしれない。そのように空間の交換可能性が高まっていくことの象徴として駐車場を見ていました。
それに対して街や風景というのは、交換できないものの重なりとしてできているのではないか。つまり交換可能性に対して、場所の固有性、個別性といった言葉が当てはまると思うんです。場所の固有性、個別性があることによってそこの場所の風景ができると思っています。では固有性や個別性はどういうかたちでつくられるのかというと、それはある特定の人たちが、ある継続した時間、その場所を使い続けることだと思うんです。そのことによって環境とその人たちの使い方がバランスを見出し、そこに独特のやり方、独特の空間の実践の仕方が生まれて、結果としてそれが風景になっていくと思います。そういう意味で言うと今の水戸の街はかなりバランスを欠いている状態だと思います。あまりにも車というものに重心を移しすぎている。それで僕らとしては建物があった状態から結果的に駐車場になるまでのプロセスが非常に気になって、駐車場にならない状態で建物が残っているやり方というのは考えられないかなと考えました。
アトリエ・ワンは目の前にある風景をよく見て、それがどういう条件でこうなるのか、どういう物理的な制約、経済的問題や社会関係によってできていくのかまで少しさかのぼって考え、その同じ条件のなかでそれを組み替えるとどういうことができるのかということをいつもやろうとしています。今回も建物が壊されて駐車場になってしまうまでのプロセスが物理的な現象として都市のなかで起こっているならば、それに対してどのようにに介入していくことができるかということを考えました。誰かがこの建物をこういう目的で使いたい、直したいと言ってくれれば、それが一番よいと思うんです。そうするとその人たちなりのやり方で空間を使っていくことの持続が生まれますから、建物はまた生き生きとしたものになっていく。ところが今回はこういう展覧会という枠組みですから、具体的な主体を想定することは難しかった。ただモデルとしてはそういう主体があってのリノベーションだと考えています。
それでこの場所を領有していく、この場所を持続的に使っていく主体として植物を考えたらどうかと思ったんです。水戸の街を使っているのは人間だけではなく、よく見れば植物もいろんなところに生えていて、ときどき大きな木になって重要な街角の目印になっていたり、暑いときには涼をとる気持ちのよい空間になったりもするので、植物を僕らと対等の空間を実践していく主体としてみなしてもよいのではないかと考え、《植物の家》にしました。
まず植物のための家をつくるために土を導入する。そのためには床を外して、後は太陽と雨が必要なので、屋根も外してあげればいい。ということで、壊していけばなんとか植物の家になるのではないかと考えたわけです。建物が使われなくなって駐車場になるまでのプロセスを途中で止めているだけかもしれないんですけれども、解体のプロセスをすごく丁寧に途中でやめることで、今まで水戸の街にはなかった別の場所のあり方がつくられるかなと思ったわけです。それは何と呼んだらいいかというと何でもいいのですが、積極的に考えたければ庭でいいと思う。少し危機感をあおるというか、ペシミスティックな部分を加えたほうがいいと思ったら廃虚と言えばいいと思います。そういうものとして《植物の家》を考えました。

fig.1 fig.2

●解体から完成まで
プロセスを紹介しますと、もともとは木造の平屋建て(奥のほうにちょっと2階建ての部分がありますが)の医院として使われていた建物で、築40年くらいです[fig.1・2]。なかに入って2階部分の窓の前に蔦がからまったところがきれいだったり、今はあまり手に入らないような面白いガラスがたくさんあって、こういうのも庭みたいでいいなと、ますます庭っぽくしようかなと思いました。建物のなかに入りこんで目測で起こした図面をもとに、この辺を土にする、この辺は使わないでおくと決めました[fig.3]。それから植物を導入しようと思ったひとつのきっかけは、『dead or alive 水戸空間診断』(筑波大学貝島研+アトリエ・ワンが半年かけて実施した、水戸のフィールドワーク報告集)にもありますけれども、街区の真ん中にぽつんと残されている草原がすごくきれいだったからです[fig.4]。同じ空地でもこういう状態でグリーンのままで続いていくのも悪くもないと思って、これはかなり僕は好感をもって見ていたんです。

fig.3 fig.4

なかはかなり混乱した状態で、川俣正展ではないかと思うくらい新聞がぶちまけてありました[fig.5]。ただ、胸がキューッと締めつけられるような生々しさをともなった生活の残滓がある内部だったんです。水戸芸術館の久保田さんがあまりの異臭にハンカチを巻いているところで、こういう状態でした[fig.6]

(左)fig.5
(右)fig.6

解体を始める前に家のなかのものを出していくプロセスです[fig.7]。これは青年会議所のみなさんに本当に協力してもらい、建物だけの状態にしたところです[fig.8]、そこに学生と一緒にのりこんで解体を始めました。まず床を外して土を出した状態です[fig.9]。今度は壁を壊すんですが、ときどき転んだりして結構危ないんです(笑)[fig.10]。解体途中というのはすごい美しい光景がときどき現われて、粉塵が舞い上がるなか光が差し込んだりfig.11、骨組みが出てきたりして不謹慎かもしれないんですけれども、解体というのはすごく面白い。

fig.7-9
fig.10・11

fig.12-14

屋根をいよいよ外そうというので、プロの解体業者の方に屋根の瓦を外していただきました[fig.12]。そして骨組みを出してたまっていたホコリをみんなで払いました。fig.13・14が一応屋根も床も抜けて、あとは植物の引っ越しを待つ状態です。建物の外から見ると、外観はわりとできるだけもと通りに残そうとしたので、建物のなかに入ると突然抜けて青空が見えます。青年会議所のメンバーの倉庫の脇にある草原がよいというので、そこにトラックで行き、草堀りをしました[fig.15]。草をトラックに積んで、みな満足そうな表情をしていましたが(笑)、すごく楽しい。次に土を入れる班と草を掘る班にわかれ、土を入れ草をどんどん植えていきました[fig.16]。草をはじめて入れた晩はみな舞い上がって、照明をたいて青年会議所の方々の支援のもとにバーベキューをしました(笑)[fig.17]

fig.15-17

fig.18が現状です。外観はできるだけもともとの建物のままにして、なかに入ると、「あれっ、おやっ」と驚くようになかに庭や草原がなかにあるという状態をつくろうとしました。この作品は時間によって表情が変わるので、朝見たときと夕方見たとき、雨が降ったときとでは雰囲気が違うので、何度か足を運んでいただければと思います。何も加えることなく水戸にあるものを組み合わせて独特な体験ができる場所をつくりたかったというのがわれわれの作品の意図です。[了]

fig.18=『dead or alive 水戸空間診断』より(テキスト部分を拡大
すべて左から
(上段)改築後外観/1階内観
(中段)1階内観
(下段)2階から1階を望む

[2004.7.31]

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