●ニューヨークのコンバージョン fig.2-01は、98年にニューヨークに取材に行ったときに泊まった安くて便利なホテルですが、これはコンバージョンしてホテルになった建物です。非常に立派な外観はリフォームしたものです。私はここに2、3泊しました。fig.2-02はホテルのドア脇に置いてあった平面図です。周囲に表通りと空き地があって、ここから空気がちょっと入るというようなプランになっていまして、日本の建築基準法からするといろいろな問題があると思いますが、このようなプランになっていました。私は建築のデザインも考えながら仕事をしているものですから、海外に行くときは必ず、ホテルを全部測量してプランのデータを自分でつくっています。ホテルの内装は展開図風に写真を撮っておりますから、それを全部お見せすることもできますが、今日はINAXで話をするということで 洗面所の写真を持ってきました[fig.2-03]。壁面は大理石で、かなり立派な仕上げになっていました。
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●ニューオーリンズのコンバージョン ニューオーリンズは、9月にハリケーンで壊滅的被害を受けて大騒ぎですが、これは10年くらい前に行ったときの写真です[fig.2-05]。ここは有名なジャズの街で、空港の名前もアームストロング空港というように有名なジャズミュージシャンの名前がついていたりします。またこの街には、アニマルズというグループが流行らせた《朝日のあたる家》のモデルになった家もあります。ニューオーリンズは、ミシシッピ川の河口にある港湾都市として発達したウォーターフロントですから、ウォーターフロント沿いに倉庫がずらっと並んでいます。ご多分にもれず、この倉庫をリフォームしてまず住宅にし、それから美術館がつくられて高級住宅街に変わりました。当時2000戸の住宅が生まれて、かなりな高級住宅が誕生したということでした。 そもそもは、20年前にニューオーリンズでワールドフェアがあったときに、この倉庫の一角がパヴィリオンにコンバートされたのがきっかけになって始まりまして、ワールドフェアのあと、130戸がコンバージョンしたそうです。それから歴史的な倉庫の保存や、古い商業施設の再利用されるようになり、都市部の評判はどんどんよい方向に動いたそうです。民主的な住民参加が日本よりはるかに進んでいるアメリカの場合、日本と違うのは、倉庫をコンバージョンするときに住民たちが連邦議会に陳情して、いろいろな免税の適用を訴えたら、それが通るということです。そういう裏付けもあってコンバージョンがさらに進んだようです。日本では、税制度は財務省がしっかり握っているのでそう簡単にはいかないと思います。 ニューオーリンズで最初の大型のコンバージョンができたのは1995年で、1階はギャラリー、上はアーティストたちが住むコミュニティになってすぐに埋まったそうです。住宅へのコンバージョンはかなりハイグレードで、市内で一番高い賃料の場所になっていまして、都市生活を楽しむ層が入ったそうです。貸料が高くなったのは、コンバージョンによって付加価値がものすごくついたということですが、これは市当局からすれば、倉庫街の犯罪が減ると同時に税収も上がり、大変ありがたかったわけです。ちなみにこのときはアメリカの研究者仲間と行ったものですから、中を見せていただきました。fig.2-06はいかにも倉庫で柱と梁が見えています。基本的には、躯体だけ残して石庭みたいにして、色彩を工夫したというようなものでした。
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写真だけ見ると何の建物かわからないかもしれないですが、これは美術館です[fig.2-12]。倉庫街の中心部にある大変素敵な建物で、どういう設計かはわかりませんが、外壁を残してそのあとこういう木の柱や梁を加えていって美術館のインテリアをつくったということです。fig.2-13も同じくマンションにコンバートした倉庫です。
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