プロローグセッション
●同潤会江戸川アパートメント
ここからは建替えの事例の話で、同潤会江戸川アパートメントと麻布パインクレストの話をしたいと思います。[fig.2-01]

fig.2-01

同潤会江戸川アパートメントは、みなさんご存知のように同潤会最後のアパートです[fig.2-02]。昭和9年(1934)に建てられたもので戸数は258戸。1号館の一部が上部で40cmくらい傾いていて、ピサの斜塔のようになっていました。そういう状態になってしまうと、大規模修繕をして維持していこうという意欲はなくなってしまうんですね。30年くらい前から建替えの議論が始まっていまして、バブルの頃には、あるディベロッパーからかなりいい建替え条件の話がもちかけられて同意寸前までいったんですが、そこに住まわれている方がかなり意識の高い方々で、中庭のすばらしい空間等を活かした質の高いものにしたいということでディベロッパーの安易な条件は飲めないということになりました。そのうちに経済状態が悪くなって建替え条件も悪くなり、私が組合から依頼されてコンサルタントとして参加した平成9年(1997)くらいから平成12年頃までは、隣地を含めた自主建替えを模索していました。当時の計画案は、隣地を含めることで、中庭と1号館の一部を保存しながら建て替えるという案でした。しかし隣地を含めた自主建替えは、当時の区分所有法では建替え決議の要件に反するわけです。258戸の地権者は220〜230人いて、全員の同意が必要ですが、そういう人数で全員同意は簡単ではありません。そうなるとよほど条件がよくない限り建替えはできないということになります。江戸川の場合、今の計画案でも実現する容積率は250%くらいで基準容積率の300%は使い切れません。日影規制の関係で実現容積率はほとんど増えなくて、せいぜい従前の1.1倍くらいです。条件が悪いので全員の同意は無理であり、しかも隣地を含めることは事実上できない。それで自主建替え路線を諦めて平成13年にコンペで旭化成を事業協力者に選定しました。そして中庭を残すかどうか、隣地を含めた計画とするかどうかなどを検討したわけですが、その過程で、1号館の一部を残そうという案も諦めました。平成14年3月に建替え決議をしまして、15年7月に着工(17年5月に竣工)しましたが、この間、反対派(非賛成者9名)に対して区分所有法に基づく売渡請求の時価についての裁判を行なっています。裁判は最終的に最高裁までいって、16年の12月に決着がつきました。私は裁判にともなう鑑定評価を書いていまして、裁判は組合側(建替え賛成派)の全面勝利で終わったわけですが、判決が出る前に実際の工事には着手していました。

fig.2-02

ここで注目すべきは、平均還元率が53%だったということです。これはどういう意味かと言いますと、10坪床をもっているほうが負担なく建替え後に取得できる床が5.3坪だということです。4.7坪分は自分でお金を出さないと同じ面積が取得できない。これまでの建替えマンションでは平均還元率は100%を超えていました。つまり何もお金を出さなくても、同じ面積以上の床面積がとれるという条件で建替えています。だから全員同意を取れたわけです。この53%というのは、今まで建替えたマンションのなかでおそらく一番低いものの一つです。逆にいうと、よくこれで同意がとれたという気がします。また、この事例のように、裁判をやりながら事業を進めるという非常に特別なやり方がマンション建替えでは日常的に出てきますが、実はこれは大変な問題です。
江戸川アパートメントの建替えの意義としては、200名を超える権利者を抱え平均還元率53%という厳しい条件で建替え決議を成立させた点と、容積率アップが望めない今後のマンション建替えのいい先例になったという点があげられます[fig.2-03]。また、建替え決議によるマンション建替えで非賛成者に対する売渡請求時の区分所有建物の時価について、判例上の明確な見解が示されました。マンション建替えの際の売渡請求は「買い取ります」という通知が着いた時点で買い取られてしまうという「形成権」という権利です。一方的に買い取られるとしたら、それは弱者なので権利を保護してくれというのが反対派の主張ですが、ただ、マンション建替えに際してはみんなが弱者なんです。要するにこのままではやっていけない。そういう中で双方が権利をどう調整するかという問題でしたが、裁判所には極めて常識的な、ある意味では踏み込んだ判断をしていただいたと思います。

fig.2-03

53%という非常に低い還元率にもかかわらず建替えができたのは、何といっても権利者が同潤会に対する愛着と誇りをもっていたということがあります[fig.2-04]。当時、建替える寸前まで住んでいた人が3分の1、貸していた人が3分の1、他の3分の1は倉庫としての利用でした。しかし建替えた後戻ってくる方がかなりいらっしゃいます。古い建物に住めなくなったから離れていたけれど、やはりここがいいという人が非常に多いですし、理事会の人たちも一生懸命やっていました。住人には大学の先生も多いのですが、70歳近い名誉教授が中庭を歩いていると、90歳くらいのおばあちゃんから「何々ちゃん」と声がかかるんです。そのおばあちゃんにとってみれば、小学生くらいの頃の感覚で言っているわけです。そういう人間関係で何とかなっているところで、コミュニティという言葉は安易に使いたくないのですが、同潤会江戸川アパートには間違いなくコミュニティがあったと思います。そういうコミュニティの質の高さが非常にきわだっていました。建替えや大規模修繕では、理事会の誰かが個人的な利益誘導をはかるという話もよくありますが、そういうことが一切なくて、個人的な要求を表でも裏でもした人はほとんどいません。また、自主管理の質が高くて、自ら管理人を雇って維持管理を行っていました。壊す時は築70年近かったと思いますが、管理費や修繕積立金の滞納は200人余の区分所有者のうちの一人か二人なんです。なかでも長期滞納者は一人で、その人も最後はちゃんと払っていますし、建替えに反対していた人も管理費や修繕積立金は払っていました。新築のマンションでも1年経つと滞納者が続出する今日、きわめてまれな例だと言えます。あとはディベロッパーとの関係もよかったといえます。建物の管理に関しては、ここの住民だった建築家の橋本文隆さんが記録を保存していまして、膨大な記録が残っています。例えば、昭和二十何年の何月何日に電球をいくらで買ったとか書かれているわけです。信じられないことですが、管理にどれくらいの修繕が必要でどれだけのお金がかかったとか、近隣、役所とどんな事を話したかという記録が全部残っている。これが自主管理の知恵を培った一つの要素だと思います。

fig.2-04 江戸川同潤会アパートが建替えできた理由

1号館には社交室、食堂、理髪室、浴室などの共用部分があり、同潤会の粋を集めた空間として建築的な価値を高く評価されており、その一部を保存する案があったんです。実は、私は橋本先生に「単なる建替えではなく、1号館の一部を残したいから知恵を出せ」と言われて参加しました。しかしながら、建替えの仕組みはいろいろ考えついても、保存の仕組みは答えが出なかったというのが現実でした。なぜ残せなかったかというと、一番大きな理由は、マンションの敷地や躯体という共用部は全員の共有だということがあります。保存するにも基本的には二百数十人全員の同意が必要だからです。建替えでも全員の同意が得られないのに、保存で全員同意は無理な話です。そんなものは壊してもっと容積を積めばいいという意見だって当然あるわけですから。また、区分所有法の建替え決議は、建物の取り壊しを前提としていますから、一部を残すことにして建替え決議するというのはたぶんできないと思います。やってみないとわかりませんが、裁判をしたら負けるのではないかと思います。それから建物の保存に要する改修費用や改修工事後の維持保全費用の原資を生み出す仕組みがない。同潤会などの建物の保存運動はほとんどがそうなんですが、建築的には残したいが、その後どう運営していくのかというお金を出す仕組みがないんです。そうするとこれは絵に描いた餅になる。具体的には建物の所有主体や利用主体のイメージができない。そういうわけで残念ながら、残されなかったわけです。fig.2-05は壊す直前の起工式の様子ですが、挨拶しているのは管理組合の太田理事長で、東北大学法学部の名誉教授です。fig.2-06は同潤会の解体前の姿です。fig.2-07は南側のファサードです。例えば、バルコニーの手すりなど一つひとつが非常に凝ったディテールになっています。fig.2-08はコミュニティ空間であり緑地空間でもある中庭の様子です。fig.2-09の後ろの方に建物が見えますが、日影規制で建てられなかったというお話をしましたが、周辺は十何階建てのビルに囲まれています。高層ビルが建っているところは目白通り沿いの商業地区で、同潤会の北側に住居系用途の土地が幅10メートルくらいありますが、そこに落ちる影で同潤会敷地の建替えの容積率がとれないわけです。

fig.2-05
fig.2-06
fig.2-07
fig.2-08
fig.2-09

fig.2-10は木がうっそうと茂っている中庭の全景で、2号館が見えますが、手前にも建物が建っています。fig.2-11も中庭の風景で、ここはコミュニティの空間として意味をもっていました。fig.2-12は建物の中の空間です。階段や手すりなど一つひとつのディテールが凝っています。踏面もアールをとったり[fig.2-13]、非常に細かいところまで考えられています。fig.2-14はある方の部屋の中なのですが、こういう和風の空間も沢山残っていました。fig.2-15は古い写真です。階高があるのでいろいろなことができるのかもしれませんが、欄間がありまして非常に細かいディテールまでつくりこんでいます。
fig.2-10
fig.2-11 fig.2-12

fig.2-13
fig.2-14
fig.2-15
fig.2-16は、先ほどの和室を別の角度から見た写真です。このような魅力的な空間を見ると、なぜ壊してしまったのかなと思います。fig.2-17はオリジナルの状態でつくられたものです。fig.2-18は食堂です。fig.2-19は厨房の入口です。
fig.2-16
fig.2-17
fig.2-18
fig.2-19
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