●「敷地としての建築」 |
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池田──池田です。私は設計事務所はパートナーの國分とやっていまして、今日は写真スタジオから集合住宅へコンバージョンした「元麻布コンバージョン・プロジェクト」についてお話をしたいと思います。 フォーラムのタイトルは「敷地としての建築」という少々不思議なタイトルですが、この意味についてはおいおいご理解いただきたいと思います。プロジェクトを紹介しながら、コンバージョンとは何か、デザイナーの立場でコンバージョンをどのように扱ったのかという点について述べていきたいと思います。 |
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まずこれが、今回コンバージョンした建物の、われわれが最初に見学に行ったときの状態です[fig.1]。 「赤坂スタジオ」という写真スタジオで、貸しスタジオとしてはかなり有名だったらしい。僕らが見に行ったときには、売りに出てもうかなりの年月が経っているものの、買い手がつかなくて幽霊ビルのようになっていました。ある企画会社と一緒にこれを集合住宅に変え、去年の10月にすでに完成しています[fig.2]この建物は住宅街のなかにあって少し小さく見えますが、左の図面[fig.3]がもとの状態で、右側[fig.4]がわれわれがコンバージョンした後の状態です。 左側では大きなボリュームがほとんど地下に埋まっています。 |
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写真スタジオなので光が必要ないため、かなりの部分が地下に埋まっていました。左側の断面図の右のほうが、普通の階高の部分ですから、それからすると普通の2倍近い階高をもった写真スタジオが、ほとんど地下に埋まっていたことがわかります。写真スタジオだったので壁は真っ白に塗られ、角が出ないように丸めてあり、上(天井)にラックがありますが、下(床)が汚れているのは、地下で空家の間にポンプが止まって浸水していた時期があったためです。写真スタジオだったこの建物を4軒に割り、1軒はオフィスに近いSOHOのように、残り3軒を居住用途にしました。 fig.5は地下の状態で、fig.6の左の平面図がもとの状態です。完全な地下室で二重壁になっていて新しい部分に二重壁がないわけではないんですが、ここでは省略してあります。地下は居住用途ではないとはいえ、居室的な用途に転換するために、まったく新たにドライエリアを掘ったので新たにスペースが増えています。 実際にfig.7にあるように、もともと地下室で壁の向こうをユンボで掘ってドライエリアをつくるという、たいへんなことをやりました。そして、写真スタジオからの転用がわかるように、高さを利用したものにしようと考えました。 |
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國分──オフィスになっているところは今、このプロジェクトを私たちと一緒に進めたリプラス・ホフ事業部が入っています。この会社のメンバーはデベロッパー、プロデューサーなどとしていろいろ経験した後に、東京の都市住宅に対して自分たちで何かできないかということで集まって会社を興しました。会社を興したころから、面白いことを一緒にやっていこうと考え、新築の物件についても絵を描いたりしていたんですが、一方でコンバージョンが新しい都市住宅を提案できるテーマにならないかという相談もありました。そこでどういうものだったら物件として投資してもらって、事業を興すことができるのかと考えました。実際の売りビルを見て法規的な問題はどうなのか、新耐震法前の建物であったらどうなるのかといった時間的、法規的な問題などをミーティングをもちながら考えてきました。 今東京で更地を買いたいという人はたくさんいますがビルを買う人は少なくて、ビルで残っているところは土地代としては高いけれど、建物をゼロという評価はまだできないというような売主側の事情でビルで残っているところが多くて、それを買う人は非常に少ない。そういったビルを買ってみたいと言うとたくさんのオファーがあり、見てまわったなかで、ある日見に行ったのがこの物件です。直感的にこれは面白いと思って、頑張って投資家を見つけようということで、プログラムや建物イメージの提案をつくりました。 結局地下は、全体のプログラムの関係でも、居室にはできるけれど住宅には難しいということで、オフィスにしようということになりました。用途としては、ショールーム的なオフィスがふさわしいということ、コンバージョン事例のプレゼンテーションとして使いたいということもあって、ホフ事業部がオフィスとして使っています。 池田──先ほども紹介したように写真スタジオだったため階高が大きい。右のところから妙な階段が突き出てますが、奥のガラスの箱のようなものは、われわれが今回挿入した部分です[fig.8]。 |
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つまりこの場合コンバージョンとしての面白さは、もともと写真スタジオだったことがよくわかる大きい階高にあると思います。ただ一方で、そのような高さはあるにもかかわらず採光などを考慮すると、実際に成立させるのには構造的に大変な思いをしました。 國分──fig.8の左上に道路のレベルがうっすら見えるんですけれども、地下といっても4.5メートルの階高のうち3メートルだけ埋まっているので、ドライエリアを掘ればかなり上空が開けてくるということが、現地調査したときにわかって「ドライエリアを掘ったらすごくよくなります」と言って進めることになりました。当然地中壁は重要な土留め壁だったので、それをどうやって取るのかは構造的に非常に難しい問題でした。 具体的な手法としては、コーナーにもともとあった柱の間に間柱を追加して補強したり、ドライエリアを掘削してそこの地下を底盤の延長として使うことで接地面積を広げて全体の荷重を分散させたり、ドライエリアの外周壁も耐力壁として使ったりして解いています。それぞれの手法は別として、施工者の方に「どうしてここの壁を開けるんですか」と驚かれたんです。それは、そういう空間をつくりたいからということで、そのあとの話につながっていくと思います。 池田──施工したのは奥村組のリニューアル部で、リニューアル部というくらいでいろんなことに詳しかったんです。一方で、僕らはコンバージョンのような仕事は初体験なわけですが、彼らから「こんなの初めてです」「どこを残してどこを取るのかというのがこれほどわかりにくいのは初めてです」とずいぶん言われました。要するに彼らの仕事はリニューアルというかたちで、躯体はいじらずに中身だけ替えるというものか、あるいは耐震補強が目的の場合には躯体のどこを耐震補強するかがはっきり決まっているというもの、そのどちらかをやってきたということです。 彼らから見たらわれわれのやり方はご都合主義に見えたのかもしれないけれど、われわれは空間を使いまわすことを優先にしているので、構造も補強できて成立するならばそれでいいと思った。要するに、今ある空間をどういうふうに活用するかを最優先に考えて、法律も構造も全部後回しにしたんです。もちろん、経済的に不合理なことをやりたいわけではないのですが、まずは空間を活用することがベースにあるだろうと思った。 次に1階の住宅のほうにいきますが、これも同じく3.8メートルの天井高がある住居です[fig.9・10]。われわれはポテンシャル、潜在的な魅力と言うのですが、写真スタジオだったときの階高がこの建物に眠っている潜在的価値ですから、この潜在的価値をどうやって生かそうかと考えたときに、先ほどと同じように2層分に割って割れないことはないが、それでは魅力を活用することにならないと思いました。それで、子供でなければ背が立たないくらいのキャットウォークを入れることを考えました。法的にはこのキャットウォークは居室等にならず面積に入らないので、そのキャットウォーク沿いにロフトをつくる。つまり元の写真スタジオのなかに、左側の部分の寝室の箱を挿入してキャットウォークで渡ることで活かせるのではないかと考えました。同じく窓がなかったので、外に窓を開けました[fig.11]。 |
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この部分は、壁をはつって取ってしまったわけです。実は、これも法的には面積に含まれない空間で、ここでも同じく妙なところに窓を開けています。先ほどのキャットウォークと合わせたレベルで、出窓みたいに1メートルくらい向こうに出っ張ったかたちとしました。こういうふうに上がキャットウォークでつながって、この部分が階段で上れるようになっている。そのようにつくることによって、出窓状の部分に腰かけたり座ったりすることができるんです[fig.12]。 |
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先ほどからお話しているように、階高に潜在的な空間的価値があると考え、それをどうやって商品的なものに置き換えたらいいだろうかと考えました。 一方、外から見ると、この部分が出窓状の部分で、ガラスの箱が付け加わったかたちです[fig.13]。ここでもう一度断面を見ると、今の住戸が水色のところです[fig.14]。下と2軒紹介しましたが、あと2軒は図の左側が元の状態ですけれども[fig.15]、ここに半階分の階高のズレがあり、いわゆるスキップフロアで、これも建物の潜在的な価値、潜在的な魅力であると思います。われわれはスキップフロアは大好きで新築でも使っているんですが、この建物もそうなっています。それにもかかわらずに、紹介してくれた不動産屋さんも「そうなんですか?」と言っているくらいでした。 |
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それもここの階段室の中で処理されてしまって、使っている人にはほとんど意識されていませんでした。これも階高と同じように、この建物の潜在的価値であると思いました。ちょうど埋まっていた宝物を見つけたようで、そこに埋まっていた潜在的価値を掘り起こして活用するにはどうしたらよいかと考えたときに、今まで高さの差のあるところで横に割っていたものを、この高さの差をむしろ縦に割ると、階高の異なる部分がひと続きの空間になる。こちらは下とつながるのではなく、この上にもともとあった屋上とつなげて、同じく半階ずれのスペースにしてしまうということです。2階と中3階のようなスペースをつなげてつくった住戸が、アクソメではこうなっています[fig.18・19]。 |
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これらはちょっと違う角度から見たところですが、実際に家の中に、半階のずれを結んでいるスペースがあるわけです。そのスペースになるところが、もともとはこの部分です[fig.20]。先ほど、この向こうに半階ずれた部屋があると言ったのがこの部分で、この部分を変えることによって、大きく転換するところが面白いと思いました。そのためキャンティレバーで飛び出したコンクリートの部分をタイルの外壁からいったん壊して、つなげるためにここにあったスラブを上に持ち上げてもう一度打ち直しました[fig.21・22]。 | |||||||||||||
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ここの部分だけは、外から見ても、先ほどの出窓と対になってカーテンウォールでできたガラスの箱にしました。これは、元のタイルの建物に、外装も一緒に変えて非常に象徴的につくり変えられた要素になっており[fig.23]、中から見ると、半透明のガラスで覆って家の中がつながっています[fig.24]。 次に同じくもう1軒は左側が元の屋上です。この屋上の下に、実は今の半分の片割れがあるんですけれども、そこと、もともとこの屋上でペントハウスだけがあった部分を、ペントハウスを取り去って、ここだけは高さも容積もまだ余裕があったものですから、少しスペースを増やしました[平面図]。 |
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元はこのように屋上に汚い屋外機置き場があったこのスペースの上に2枚のコンクリートを新しく打って[fig.26-27]、鉄骨屋根をペントハウスとして架けると、このようになりました[fig.28]。 こちらが前の家と半分に割った中3階のスペース、こちらが屋上で、それを半層レベルでつなげるだけではなくて、もう片一方のタイプを縦割りにしたがために、平面的には中3階の空間はどこからも光が入ってこない穴倉になってしまった。それが逆にペントハウス部分とつなげることで、上から光が入るスペースになる[fig.29]。 池田──もったいないからこうしましたというのでは、つまらないと思うんです。先ほど太田さんが話された『フラッシュダンス』のような例だとわかりやすくてかっこいいんですが、今回の建物の場合、ちょっと悩ましいのは、たいして古くなく築18年で、明治時代に建てられた建物のような風格があるわけではない。でも、単に面白い、変わった集合住宅だというだけではなく、次に住む人に「この建物がこういうプランをしているのは、昔写真スタジオだったからなんだ」という、その一言をどう言わせるかが僕らが言うストーリー性で、そこにある種の文化的ストーリーを感じて初めて、単なる不動産的な価値ではなくなると考えているわけです。 |
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それぞれの住戸の場合と同じように、この建物の元の外観も、単純に消し去られてしまってはデザイン的にコンバージョンとは言わない、転用されたことがはっきりと読み取れなくてはいけないと思いました。そして、そうならば各住戸ではなくて、パブリックスペースではどういうことになるのかと考えたわけです。 これは元の玄関です[fig.34]。かなり大胆に変えていますが、一番大きな要素としては、最初のパースでもでてきましたが、前庭のスペースをつくるための柵のようなリング状のキャノピーです[fig.35]。坂道にあわせて微妙にスパイラルになっている厄介な代物だったうえに、それを路地の奥にある敷地に、建物の工事が終わって最後に取り付けなければいけないというので、いかに小さなピースに分けてつくるかを考えなければなりませんでした。結果としてタコの足みたいな、あるピースにたくさんあらかじめパイプを取り付けてきたものを、何ピースもつくってきて現場で組み立てるということを考えました[fig.36]。 この敷地には小さなユニック車しか入らず、他の工事が全部終わってからしかできないので、そういうものを考えました。外はそのようにする一方で、住戸の外に出てきたインテリアは、もともとはインテリアらしいスペースだったところを、逆にエクステリアのように見せかけるデザインをしています。外でやっていた外装と同じタイル、外壁と同じガラスの光壁をなかに引き込んで、それによって集合住宅としてのしつらえに直そうということをしました[fig.37]。 |
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●敷地として建築 さて、われわれのレクチャーも終わりに近づいているのですが、もう一度「敷地としての建築」の意味を話したいと思います。いま紹介したように、結果的に4軒とも全然違うタイプの住戸をつくりました。もともとあったスペースに、そのスペースに合ったもので、子供の成長に合わせて、その子のいいところを伸ばしてあげたように、自然にそういうものができたという話だったのですが、一方で、もしあれを取り壊して、まったく新たに集合住宅を4軒分つくりなさいと言われたら、われわれはそういうふうにしたかと考えました。たぶんそうしないで、4軒がだいたい均等な環境になるためにはどうしたらいいかと考えたと思うんです。その差がすごく面白いということを、その「敷地としての建築」という言葉で言おうとしていました。実はもうすぐ完成する別の集合住宅の設計でも似たようなことを考えています[fig.38]。これも同じく4軒が集まったコーポラティヴハウスで、建てこんだなかに中途半端な旗竿の敷地があって、4人住めるものがつくれないだろうかという計画です。こういう条件の悪いなかに無理して入れようとすると、次のようなことになる[fig.39]。 |
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また、これは慶応大学の普通部のキャンパスに本館を1棟だけ建て替えるというプロジェクトです[fig.40]。右側は谷口吉郎さんが1953年(昭和28)に建てられた校舎で、この校舎にすでに接続していた建物を取り壊して、新しい建物を接続しました。その際、調和をもつためにはどういう接続をしたらいいのかを考えました。ヴォイドのように、われわれの建物はそれ自身で独立性を保ちながら、互いが相互侵食をしているような見せ方ができないかと考えました。こういうキャンパスのプランニングで学校全体の動線計画を考えていくと、実は市街地の建物と同じように、建物としての自己完結性よりも周辺との関係からすべてが決まってくるという設計になってくる[fig.42]。 |
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例えばこの建物の反対側は、そこに植わっている大きなクスノキに対してどのようにガラス面をとるか、どういうスペースをとるかということで決まってきました[fig.41]。 |
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[2004.5.28] Renovation Archives [001] |
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