Renovation Archives [079]
名古屋市住宅都市局営繕部営繕課+東畑建築事務所
●ギャラリー、レストラン(サイアムガーデン)[広告塔←事務所・倉庫←領事館←加藤商会の事務所]
《旧加藤商会ビル》
取材担当=神崎直人(三重大学大学院工学研究科)
概要/SUMMARY

広告塔として使用されていた当時の外観

建設当初の外観
提供=名古屋市緑政土木局河川部堀川総合整備室

設計概要
●所在地=所在地:愛知県名古屋市中区錦1丁目15番地17号
●用途=ギャラリー、レストラン(サイアムガーデン)(以前:広告塔←領事館←加藤商会の事務所)
●構造=RC造
●規模=地下1階地上4階(既存建物全体:地下1階地上4階)
●敷地面積=99.85平米
●建築面積=75.23平米
●延床面積=310.52平米
●竣工年=2005年1月(既存建物:1931年頃)
●設計=名古屋市住宅都市局営繕部営繕課+東畑建築事務所
●施工=徳倉建設
●築年数=75年
●用途=ギャラリー、レストラン
●家主=名古屋市
●設計者=名古屋市住宅都市局営繕部営繕課、東畑建築事務所
●企画立案者=名古屋市
●事業企画=名古屋市 

現在の外観

堀川沿いからの眺め

併設されている親水広場
筆者撮影
■名古屋を代表するメインストリートと堀川の交差する納屋橋北東に建つこの建物は、1931(昭和6)年頃に貿易商を営む加藤商会の本社ビルとして建てられ、1935年から1945年頃までは、当時のシャム国、現在のタイの領事館(事務所)が置かれていた。その後、所有者が変わり、事務所や倉庫としての使用を経て、ビル全体が看板で覆われ、広告塔として使用されるようになったことから2000年に建築学会等から保存要望が出され、名古屋市が当時所有者であった中埜産業株式会社から建物の寄付を受け、2001年には国の登録有形文化財に登録された。

この建物を譲り受けた名古屋市は2003年より、建物の修復・工事を開始し、内部機能は堀川に面した地下1階を市民開放施設「堀川ギャラリー」、1階から3階を店舗スペースとすることに決定した。店舗スペースについては財団法人名古屋都市整備公社が建物の維持管理を行なうことを前提に、名古屋市からスペースを借受け、飲食店等の業務を行なうテナントを公募し、選考の結果、タイ料理屋の店舗に決定した。

このプロジェクトは、近年の堀川周辺の環境整備の一環であり、「歴史的建造物の保存と活用」「中心市街地活性化のための拠点づくり」「堀川再生のシンボル・堀川の情報発信基地として活用」という3つのコンセプトをもとに改修と転用が行なわれている。そして新たに《旧加藤商会ビル》は堀川の情報発信の場、地域の憩いの場として歩むことになった。

施工プロセス/PROCESS
左上:改修前平面図地下1階、地上1階
施行の基本方針は、登録有形文化財であることから、外装に関しては原則としてできる限り建設当初から使われている材料を保存・活用していく。
内装については、できる限り現状保存を行なうものの、現行法規制の適用を受けることや空調・衛生設備を新たに設置する必要があり、既存建物を活かしながら現代仕様で改修を行なうということであった。
構造については、耐震検査を行なったが、建設当初の構造がしっかりしていたこともあり、大きな補強は必要なく、耐震壁を1カ所増設した程度で、柱や壁の破損部分についてはセメント注入等により補修を行なっている。
内装の腰壁や床の木材については、風合いを損なわないようにいったん取り外し洗浄して再び取り付けている。足りないものは1階部分で使用しなかったものを再利用している。外壁のタイルや石材については、施行の基本方針にもある通り建設当初のものに高圧洗浄を施し、耐久性を考慮したうえで再利用し、足りないものは写真をもとに復元している。また崩れ落ちそうなものについてはアンカーピンニングやセメント注入により補修を行なっている。窓のサッシも建設当初のものを再利用し、さびを閉じ込めるかたちの補修を施し、破損がひどいものについては、新たに取り付けている
右上:同、地上4階
左下:現況平面図地下1階、地上1階
右下:同、地上4階
現状/PRESENT
左:地下1階堀川ギャラリーの様子
右上:1階サイアムガーデン厨房
右下:2、3階サイアムガーデン飲食スペースの様子
堀川の整備構想
提供=名古屋市緑政土木局河川部堀川総合整備室
納屋橋地区の整備構想
提供=名古屋市緑政土木局河川部堀川総合整備室
左上:改修された納屋橋の外観
筆者撮影

左下:遊歩道の様子。ここでは3年間の社会実験としてオープンカフェ事業が行なわれている
右上:遊歩道沿いの親水広場の様子。堀川沿いには他にもいくつか親水広場が設置されている
筆者撮影
■《旧加藤商会ビル》は、地域に開放された情報発信の場、憩いの場として建設当初の面影そのままに再生され、遊歩道や親水広場と一体的に計画されている様はまさしく堀川のシンボルである。
この事例は、歴史的建造物(有形登録文化財)の保存と転用、あるいは技術の再生という観点から捉えることができるかもしれないが、この事例の特筆点はそこではなく、納屋橋地区の堀川整備の一環として行なわれた点にある。
近年この堀川は5つの地区にゾーン分けられ、その地区ごとの特性を活かした整備事業が進められている。この納屋橋地区は以前の賑わいを失い、河川沿いの空間のポテンシャルを活かしきれていなかった。そのためこの地区ではかつての賑わいを取り戻すべく河川と一体となった遊歩道や親水広場、遊歩道と一体となった建築空間などの整備が行なわれている。これらの整備は、河川と建築物の関係や河川に対する人々の認識を一新し、納屋橋地区の刷新につながっている。
一方、これらの整備を景観という観点から捉えれば、堀川という自然景観を中心とした整備を展開し、河川沿いの景観整備とこの事例の関係は歴史的建造物の再生等と融合することにより、良好な景観を取り戻し、街のアイデンティティの創出につながっている。近年、歴史ある街並みや緑豊かな自然など、日本古来の美しい景観を求める声が高まり、景観法が施行されたが、これはいまだ一面的なものであり、かつその規定内容は概形的なものであるといえる。そのため良好な景観を創出するうえで個別のデザインに課せられる責任は大きくなるだろう。こうした問題に対するひとつの答えがこの事例から読み取れるのではないだろうか。
(神崎直人)
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