Renovation Archives [056]
曾我高明+大岩オスカール幸男
●現代美術ギャラリー
[工場]
《現代美術製作所》
取材担当=新堀 学
概要/SUMMARY
設計概要
所在地=東京都墨田区
用途=現代美術ギャラリー(以前は電気絶縁用品工場)
構造=鉄筋コンクリート造
規模=地上2階(ギャラリーは1階部分)
延床面積=99平米
竣工年=1997年(既存:1955年)
企画=曾我高明
設計=曾我高明+大岩オスカール幸男
施工=ダイワ工業
■電気絶縁用品工場を現代美術ギャラリーへ転用した事例である。敷地は東向島の駅近く、かつての町工場が集まっていた地域である。昭和末期以降の産業構造の変化にともない、工業地帯から居住地帯へとモザイク状に変化していったエリアである。
そもそも、この現代美術製作所の計画は、オーナーの曾我氏が自ら美術に関わろうと思ったときに、自身の生家が営んでいた電気絶縁部品の元工場スペースを活用したらどうかと考えたことから始まった。生産の拠点が海外へ移り、また職人の高齢化もあって、この向島で工場を続けることが難しくなってきていた時期であった。
建築家でもあるアーティスト、大岩オスカール幸男氏の協力で、「シンプルな空間を」「工場であったことがわかるように」というコンセプトで、工場や倉庫などを手がける工務店に施工を依頼し、設備込みでトータル400万円というコストで改装を敢行した。
一方で1998年には、向島のまちづくりグループや東京大学の大野秀敏研究室の留学生を中心とする国際ワークショップが地元で開催され、そこにワークショップ会場として参加したことが地域とつながるきっかけとなった。2000年、2001年に開催された向島博覧会では、拠点のひとつとして、地域における美術のインフォメーションセンターの役割を担った。
これらの動きと連動して2001年以降、向島の空き家に移り住む作家が増えてきている。そして博覧会の成果として2002年にはまちづくりのプラットフォーム「向島学会」が誕生。そこでの活動を通じて、地元住民や地域の作家たちとの連携が大きく広がり、現在では向島においてさまざまなイヴェントやワークショップを企画するようになっている。また、現代美術製作所の展覧会を手伝うボランティアのなかから美術のプロを目指す人材も育ちつつあるなど、地域のイニシアティブの拠り所としてギャラリーが機能しつつある。
上:エントランス
下:全景
施工プロセス/PROCESS

左上:スタディー模型
左中:以前の状態
左下:展示風景
右:工場時代から残る型板ガラス
建物はもとは電気絶縁用品の製造工場。その後、倉庫として使われ、83年に一部は事務所に改装。現在のギャラリー部分は97年まで製品の検査室として使われていた。絶縁性能を確認するために、1分間2万ボルトの電圧をかける試験を行なうための装置、平台、水槽などのほか、物理試験を行なうための小さな部屋(8畳ほどの空間)もあったが、ギャラリーへの改装にともない、これらの既存施設はすべて撤去された。その後、展示壁、照明・電気設備が設置された。
既存部分の取り扱いは、基本的には手を入れず、塗装のみが行なわれた。新設の展示壁は、ラワンベニヤ下地に同じく塗装がなされ、作品を直に取り付けられる壁となっている。抽象的な白い壁と、テクスチャーを持った既存のブロックの目地、そして型板ガラスの開口部とのコントラストが作品製作を触発する空間を作り出している。
現況プラン(メインギャラリー+サブギャラリー)
左:メインギャラリー拡大
右:サブギャラリー拡大
現状/PRESENT

ギャラリー間のコリドー
左=メインギャラリー、右=サブギャラリー

サブギャラリー

エントランス周りの壁面のコントラスト

独立柱と展示壁
■新設されたもの(展示壁、照明設備)と、既存の空間(柱、壁、天井、床、開口部)のそれぞれが、きちんと認識できるコントラストが、中心に立つ独立柱とともに、単なるホワイトキューブには存在しない空間の振幅をつくり、結果として作品製作の手がかりを与えている。この空間の質が表現活動を触発することが、オルタナティブ・スペースとして10年近くも継続した運営を可能にしている。また向島地域において行なわれている向島学会や向島博覧会などの地域の活動に結節点のひとつとして関わることで、現代美術が地域に参加する実験を行なってきた。ギャラリーという既成媒体から外に出て行くことを模索してきている90年代以降の現代美術の流れのなかでも、この現代美術製作所の活動の軌跡は、代官山ヒルサイドギャラリーなどと同様に「ギャラリーごとまちへ出て行こうとしている」と言えるのではないだろうか。まちの営みのひとつとしての現代美術という「実験」が、地域に根付く日もそう遠くはないと思われた。
(新堀 学)
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