Renovation Archives [050]
I
鍋島次雄+藤澤町子+加藤信吾+藤井禎夫+桜井裕一郎+IZUMI
●ギャラリー+カフェ+事務所[蔵+事務所] Gallery ef
取材担当=大家健史

概要/SUMMARY

リノベーション前(1996)
事務所屋上からみた土蔵の屋根部分外観。傷んだ外壁がトタン板で覆われている。屋根瓦には竹と屋号が刻まれている。表面は戦災により赤く変色している

写真提供:ギャラリー・エフ

リノベーション後土蔵外観
外壁は左官職人の加藤信吾氏によって塗り直され、屋根は瓦職人である藤井禎夫氏によって六分の一ほど葺き替えられた。二人とも多くの文化財修復を手掛けている
■東京都台東区浅草の江戸通り沿いにある土蔵をギャラリーにリノベーションしたのが《ギャラリー・エフ》だ。土蔵が建てられたのは慶應4年(1868)。江戸時代から明治にかけてこの一帯は材木町と呼ばれ、材木、竹の問屋が多く存在していた。この土蔵はその木材問屋の内蔵として建てられた。
関東大震災、東京大空襲などの災害や近年の都市開発などにより、周辺の建物がどんどん壊されていく中、この土蔵は残り続けている。1960年代にこの土蔵に増築するようなかたちで軽量鉄骨造2階建ての事務所ビルを通り側に新築した。1階はガレージ、2階はオーナーの村守恵子氏の父が経営する特殊金属の卸会社の事務所、土蔵はその倉庫として使われていた。その後、経営者が亡くなったことにより蔵を壊して土地を売却することになっていたが、文化財の保護審議会担当の東海大学建築学科助教授(当時)の稲葉和也氏に調査を依頼し、歴史的建築として価値があると判断された。そこで村守氏はこの蔵を残すことを決意し、活用方法を考えはじめた。
そして1996年、漆造形作家の鍋島次雄氏が蔵の改修を村守氏に申し出たことからこの計画がスタートした。
改修作業は鍋島氏と左官職人の加藤信吾氏の多大な協力を得て、オーナー家族の手によってセルフビルドで行なわれた。工事にはのべ200人にもおよぶボランティアスタッフがかかわっている。
設計概要
所在地=東京都台東区雷門2-19-18
用途=ギャラリー+カフェ(以前は蔵+事務所ビル)
構造=蔵:木造土蔵づくり、事務所ビル:軽量鉄骨造
規模=地上2階
敷地面積=92平米
建築面積=19.60平米(土蔵部分)
延床面積=66平米(土蔵部分)
竣工年=1997年(既存:1868年[土蔵]、1960年代[事務所ビル]) 
設計=鍋島次雄+藤澤町子+加藤信吾+藤井禎夫+桜井裕一郎+IZUMI

リノベーション後、事務所建物外観
江戸通りからみたファサード。周りをビルに囲まれている
施工プロセス/PROCESS

左上:1階平面図【拡大
左下:2階平面図【拡大
:短手断面図【拡大
図版提供:吉岡誠生+木村優二
■土蔵はもともと地面から約1.5メートルの高さに1階の床があり、床下は倉庫として使われていた。土蔵をギャラリーにコンバージョンするにあたり、天井高を確保するためにこの床を取り外した。そして基礎コンクリートを打ち、1メートル下げたレベルに漆塗りの床が貼られた。一階床レベルの変更にともない、エントランスの階段を撤去し、床下倉庫への出入り口だった高さ1メートル程度の小さな開口部をエントランスとして使用している。1階から2階に上がる階段は釘を使わず木組みで新しくつくった。通気を良くするために二階の西側に開口、床中央に吹抜けをつくっている。
事務所ビルの方はガレージ部分をカフェとして使用するためにシャッターを外し、蛇腹のガラス窓にした。エントランスはアンティークのドアを取付けている。天井ははがしてC鉄骨をむき出しにして、その下に補強の鉄骨を新設した。1階壁面には土と藁を混ぜた漆喰を塗り、床はモルタルで仕上げところどころにレンガを配している。2階の床には土蔵の取り外した床材を貼り、壁は発砲スチロールを混ぜた漆喰で仕上げられている。
左:リノベーションの変遷
1868年に土蔵、1960年代に事務所建物が建てられた


右:リノベーション前、土蔵入口部分
1階へは階段を上って分厚い観音扉を開けて入るようになっている。階段下の小さな鉄扉は倉庫への入口。
写真提供:ギャラリー・エフ
左:リノベーション前、土蔵二階内観
右:壁の補修
一部崩れていた土壁の土をすべてかき出した。木舞(壁の下地)は既存のものをそのまま使い、新しい棕櫚縄で締めなおしている。この部分にラスボードを両側から挟み、その上に漆喰を塗り重ねた。
左右とも写真提供:ギャラリー・エフ
左:床工事
1階床板をはがし、倉庫部分の床下に新規の床を組んだ。

写真提供:ギャラリー・エフ
右:施行中の写真
鍋島氏によって漆塗りの床が貼られた。
写真提供:ギャラリー・エフ/撮影:塩澤秀樹
左:2階梁に記された墨書き
慶応四戊辰年八月吉日
 三代目竹屋長四郎
 妻 い勢

 伜 小三郎」

と創建の銘が刻まれている。稲葉氏の調査によって発見された。


右:
ボランティアスタッフ
のべ200人もの人々がかかわった。


左右とも 写真提供:ギャラリー・エフ
撮影:塩澤秀樹
現状/PRESENT
江戸通り沿いから見たファサード
正面はオイルステインで塗られた板が貼られている。頭上には巨大な銅製の看板が設置されている。右下、入口はステンドグラスがはめ込まれたアンティークのドアが取り付けられている
1階カフェ
奥に進むと土蔵の観音扉が見える
2階
50年代のアメリカのヴィンテージ雑貨などを扱うショップとして使われていた。現在は事務所として使用されている
写真提供:ギャラリー・エフ
撮影:塩澤秀樹

ギャラリーエントランス
もともと土蔵地下倉庫の入口だった開口をギャラリーのエントランスとして使用している。姿勢を低くして入るようになっており、「にじり口」のようになっている。

ギャラリー1階
写真提供:ギャラリー・エフ
撮影:塩澤秀樹

ギャラリー2階
写真提供:ギャラリー・エフ
撮影:塩澤秀樹

ギャラリーで行なわれたイヴェントの様子(2003)
ローマン・シャイドル「粒子の夢」におけるライブ・ペインティング
「TAMAMU cafe」
写真提供:ギャラリー・エフ/撮影: 落田伸哉

登録有形文化財のプレート
認定されるとナンバーのついたプレートが手渡される

隣ビルから見下ろした土蔵、事務所建物(写真左側)
土蔵がビルに囲まれ、通りからまったく見えない配置になっていることがわかる
■「登録有形文化財のあり方」
《ギャラリー・エフ》は1998年に文化庁登録有形文化財として認定された。登録有形文化財とは保存および活用についての措置が特に必要とされる建造物を文化財として登録する制度である。支援措置として、その家屋に係わる固定資産税及び都市計画税が減免される。保存修理工事に対してはその設計管理費の二分の一の補助を実施している。法人の場合、活用整備資金に対して低利の融資を受けることが可能となっている。また、2004年の一部改正により、相続、贈与の際の課税に対して、その土地の三割削除となった。
文化財といっても建物の保護を国が保証するわけではなく、建物の管理、運営はすべて所有者の手にかかっている。認定されると重いプレートが手渡されるだけで、文化財になったからといっても基本的にはそれまでとあまり変わらないのが現状のようだ。
しかし、このプレートによって人々が土蔵を価値のある文化財として見てくれるという良い側面もある。建築に対する人々の認識を変えるという意味で有効である。
この制度では建物を改造することに対する規制は緩く、外観を変えずに内部改装を行なう場合には届出は必要なく建築を自由に活用していくことができる。ギャラリー・エフはこのような登録有形文化財の活用のあり方を提示している理想的な事例である。このギャラリーでは国内外のアーティストによる展示、交流やさまざまなイヴェントを積極的に行なうことで古い建物を最大限に活用し、グローバルなコミュニティをつくりだしている。
(大家健史)
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