Renovation Archives [049]
新居千秋都市建築設計
●ホール、レンタルスペース、店舗[倉庫] 《横浜赤レンガ倉庫》
取材担当=小川弾

概要/SUMMARY

設計概要
所在地=神奈川県横浜市中区
用途=ホール、レンタルスペース、店舗(以前は倉庫)
構造=組構造 一部鉄骨造
規模=地上3階
敷地面積=19746.53平米(1号館)、7808.96平米(2号館)
建築面積=1953.50平米(1号館)、3887.49平米(2号館)
延床面積=6408.48平米(1号館)、10755.01平米(2号館)
竣工年=2002年(既存:1911年(2号倉庫)、1913年(1号倉庫))
企画=財団法人横浜市芸術文化振興財団(1号館)、株式会社横浜赤レンガ(2号館)
設計=新居千秋都市建築設計
構造=TIS&PARTNERS

■横浜赤レンガ倉庫は明治末期に建築家・妻木頼黄の設計により大蔵省の保税倉庫として一号倉庫と二号倉庫が建設され、以後90年以上も「ハマの赤レンガ」と呼ばれ横浜のシンボル的存在として市民から親しまれてきた。その歴史的存在の大きさと存続を望む市民の熱意により昭和54年頃から建物の保存計画が継続的に行なわれていた。当初の計画では建物の外観保存に主眼が置かれていたが、みなとみらい21地区開発(横浜の都心再生プロジェクト)の一環で平成4年に横浜市が国から赤レンガ倉庫を取得したことをきっかけに、プロジェクトは“保存から保全(=積極的に活用しながらの保存)”へと大きく変化していった。このころから再生プロジェクトに参加した建築家・新居千秋氏は、歴史的建造物の現状維持を目的とした保存ではなく、商業的文化的利用のために現代的な機能や感覚を積極的に付加する「保全」へと手法をシフトすることにより、歴史的建造物の趣と佇まいを残しながら「生きた建築」として現代に蘇らせることに成功した。
また、赤レンガ倉庫の再生プロジェクトの特徴として公共と民間がインタラクティブな関係を築きながら事業が進められていることが挙げられる。事業の構成は、第三セクターである(株)横浜みなとみらい21が一号館と二号館を横浜市から賃借し、二棟間の広場の管理を市から受託している。一号館を横浜市芸術文化振興財団が受託し文化事業を運営し、二号館は事業コンペで選定された(株)横浜赤レンガが受託しテナント運営を行なうという仕組みになっている。赤レンガ倉庫では電気、ガス、水道などのインフラや両棟共通の供給設備棟の建設費を公共と民間で折半している。公共と民間が共同して運営していくことが通常の公共施設の運営方法を打破し、赤レンガ倉庫の成功につながっている。
文化事業で利用されている一号館(写真右)と店舗として利用されている二号館(写真左)
施工プロセス/PROCESS
■新居千秋氏が改修設計を行なう以前にも横浜市により保存工事が行なわれていたが、構造補強を目的になされた工事だったため、階段、水、電気、ガス、空調などの設備や機械室などがまったくない状態から設計はスタートした。これに対し、この建物の再生プロジェクトでは供給設備棟を建物から離れた半地下に設置し、地中のボックスカルバート(地下排水溝)を通してエネルギーを供給する方法を採用した。このため外観の原型がほぼ忠実に守られ、レンガ建築特有の雰囲気や歴史性を残したまま文化施設・商業施設へ活用することが可能となった。
設計段階では「残せるもの」と「更新が必要なもの」の的確な選別と、意匠性と機能性の両立のため、徹底した事前調査と納まりの検討、現地確認が繰り返された。建設当時から残る既存部材の風合いを損ねないように、リベット工法建具や中国福建省のレンガなどを使用し、建設当初の姿を再現するディティールやテクスチャーにもこだわりを見せている。
構造補強については構造設計家・今川憲英氏によって、既存レンガから抜き取った試験体500体を基にした解析が行なわれ、レンガ壁の目地にエポキシ樹脂を注入し目地自体の強度を上げるという煉瓦造の新しい構造デザイン手法が試みられた。
また、この再生プロジェクトでは「The First Machine Age」というデザインスクリプトがつくられたことも大きな特徴として挙げられる。デザインスクリプトとは、言葉と図を使って空間イメージを共有化していく方法論で、これにより建物全体からテナント一つひとつまでデザインコントロールすることが試みられている。歴史の痕跡が残された空間の中に、エレベーターやエスカレーターなどの現代的な設備の駆動部を隠蔽せずに置くことで、この倉庫の生まれた時代精神・時代感覚を蘇らせている。新居千秋氏のデザインは建築のみにとどまらず、二棟全体のサイン計画からビアホールのビールサーバーのデザインまで多岐にわたっている。
上左:一・二号館の共通設備が地下に設置され、地上部分は芝生の丘と冷涼感のある壁泉があり広場のアメニティ空間となっている
上右:共通設備棟を建物から離して設置することにより保存された外観
下左:エントランスに設置されたリベット工法建具
下右:ガラスに覆われ駆動部分が見えるエスカレーター
上左:床下に避雷針や瓦などが保存展示されている一号館のエントランスホール
上右:新旧が明確に区別できるようにガラスが用いられた風除室
下:広場に面して設置されたガラスボックス、800ミリメートルほどある基壇は現行法規に合わせるため手摺りを設置するのではなく、広場へと連続するように階段状にされている
現状/PRESENT

多くの人で賑わう広場

「横浜トリエンナーレ」の会場として使用されたときの様子
写真提供:大家健史
■横浜赤レンガ倉庫を訪れると海へと開かれた何もない広大な広場を挟むように一号館と二号館が佇んでいる。この状況は保税倉庫として建設された当初と変わっていない風景である。しかし、リノベーションされたこの空間が持つ力強さは以前の倉庫として使われていた時とは比べものにならないほど強く存在している。
2001年、赤レンガ倉庫は国際アートイベント「横浜トリエンナーレ」のメイン会場のひとつとして使用された。当時はこの改修工事が完了する以前だったため、廃墟としての雰囲気が強く残る会場内に現代アートが展示された。そこでは既存建物とアートの対比により建物の記憶がより鮮明に浮かび上がっていた。
新居千秋氏による再生プロジェクトで現代的な機能と感覚が細部まで挿入された建物では、アートイベント時と同様な新旧の対比が起こり、歴史を感じる緊張感と過去を懐かしむノスタルジックな雰囲気が同時に存在している。そして、その空間を楽しむ大勢の人々が集まり生き生きと使われている。この状況がさらに空間に強度を与えている。赤レンガ倉庫は「生きた建築」として現代に蘇ったのだ。
(小川弾)
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