Renovation Archives [039]
(改修前)積水化学工業(株)
(改修後)林泰義+富田玲子+林のり子+林なゆた
●住宅+店舗[住宅] 《林・富田邸》
取材担当=福田啓作

概要/SUMMARY


M1工場内アッセンブルラインの様子センブルラインの様子

住宅部をエントランスより眺める
敷地は世田谷区玉川田園調布にある閑静な住宅街。建築家であった林泰義氏の叔父が設計した2階建ての洋館の建て替えが契機となり、当時、発売後間もなかったセキスイハイムM1を住宅展示場で見て、ユニット単位で発売されていたM1を、3家族で計21ユニット購入。当初は購入したままの状態で使用していたが、家族構成の変化や住環境改善、店舗の併設等のため、1979年より継続的な改修を開始した。鉄骨ラーメン構造のユニットに、さまざまな部品を搭載して住宅にする、というシンプルな原理と、その結果として生まれた外観を、「家中が掲示板のように感じた」という言葉に象徴されるように、自由に、フレキシブルに使いこなし、断続的に改修を行ないながら現在に至っている。

工場から輸送されるM1

住宅部をエントランスより眺める

現場でのM1据付け風景

M1構法説明図

完成したM1

改修前1階平面図拡大
設計概要
所在地=東京都世田谷区
用途=住宅+店舗
構造=鉄骨造・一部木造
規模=地上3階
敷地面積=500平米
建築面積=187平米
延床面積=360平米
建築年月日=1972年、改修=1979年〜現在
設計=(改修前)積水化学工業(株)/(改修後)林泰義+富田玲子+林のり
子+林なゆた


改修前2階平面図拡大
施工プロセス/PROCESS
2階真中列ユニット改装時平面案(南北逆)拡大 1979年:
2階真中列ユニット改装

左:3階増築部分平面・断面詳細図拡大
右:吹き抜け部分写真
1989年:
2階右端列ユニット居間部分を吹き抜けに改修
2階右端列ユニット食堂上部に3階を木造で増築
(基本プランと配色を富田氏が担当し、設計は山中良子氏による)
1997年:
右端列ユニット部分耐力補強
2階右端列ユニットカーペット取り外し、床フローリング貼り替え
1階真中列ユニットにキッチンを新設
同ユニット天井クロス貼り替え、照明器具取替え
1階右端列ユニットを地域のサロンとして開放
:耐力補強検討図拡大
右:耐力補強原寸図拡大
1階真中列ユニット改修時エスキス拡大
左:カフェ「えんがわ」部分平面検討案拡大
右:
店内より庭を眺める
2002年:
1階右端列ユニット部分をカフェ「えんがわ」に改装
外壁をピンク系の色から黄色系に塗り替え
2003年:
耐震性能診断実施
給排水の点検
床下防錆工事の実施
上記以外に、細かい改修・改築等多数
現在も改装中
現状/PRESENT
左:「えんがわ」トイレ入り口
右:トイレのドア内側

建て替えの際に、以前使用していた洋館のドアの、内側を富田さんが、外側を
林さんが描いて、しばらく倉庫に眠っていたものを、「えんがわ」部分改修時に
取り付け直したもの
左:玄関部から庭方向を眺める
右:外側より敷地全体を見渡す
■コメント
林・富田邸において、M1のユニットは「道具」として使われていた。高さ2,250mm、幅2,400mm、奥行き4,800mmという規格を持ち、工場生産された「道具」。積水化学工業と共同で、M1の基本設計・システム開発を担当した建築家(当時、東京大学内田研究室在籍)大野勝彦氏の初期の構想には、鉄骨ラーメン構造のユニットが住宅を構成する「道具」であるばかりではなく、それらが「部品」として使用されることで、町を形成する「道具」としても機能する可能性が記述されている。林・富田邸においては、こうして構想された「道具」の可能性がフレキシブルに読み替えられることで、文字どおり住み手にとっての道具として、手元に引き寄せられ、住まいと、住むことは、ゆるやかに更新=リノベーションされていく。「まるでガレージか倉庫」のようであるからこそ、言い換えれば、いわゆる「家らしい」姿をしていないからこそ、住まい手が積極的に自らの家を形成していく余白が生まれるのではないだろうか。現在約13,000棟の既存ストックがあると言われる、M1のストック利用の可能性を考えても、また同時に、住みながらリノベーションする、という行為の可能性を考えてみても、林・富田邸のリノベーションは、そのありうべき方向性のひとつを示す好例と言えるだろう。
福田啓作)
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