INAXe`Ze¨O´e´YaΔE´tE´HA°[E´a^E´A¨ INAXE´tE´HA°[E´a^E´A¨E´VE´a¨A°[E´Y
FORUM No.006(2007.3.19)

松村秀一
「200年住宅」と住宅産業の未来

SESSION02

住宅という商品の特殊性

山本──私が今までのフォーラムで改めて受けた印象は、住宅は非常に複雑な商品だということです。ものとしての組成が複雑かというと必ずしもそれほどではないとは思いますが、供給のされ方が複雑です。ほとんどの人は一生に一度しか家を建てず、建てたら最低でも20年以上は使うし、また値段も高い。普通の商品なら買ってダメだと思ったら買い換えるという業界へのフィードバックが頻繁に行なわれますが、住宅の場合にはそれほどの頻度で行なわれない。それによって旧態依然とした複雑怪奇なシステムが続いてきてしまったのだと思います。その複雑さをなくせるかというと難しい問題で、例えば吉池さんのお話にあった住生活エージェントでは、複雑さは複雑さのままおいておいてコンシューマーに対してはもう少しわかりやすくしていくわけです。とにかく現時点では供給のされ方が複雑である点が住宅という商品の大きな特殊性だという印象を受けました。まずこのテーマに関していかがでしょうか。

松井剛──今おっしゃった住宅は複雑だというのはまさしくその通りで、このフォーラムでいろいろ勉強させてもらったのですが、この業界あるいはこの商品は複雑怪奇で摩訶不思議であることを理解しました。僕のわかってないことがまだたくさんある、それがわかりました(笑)。例えば遠藤先生のお話が印象的で、工事台帳を見て詳細に分析されたましたが、「僕が家を建てるときに台帳を見せてくれと言ったら見せてくれるのですか」と訊いたところ、遠藤先生は「旦那はそんなことは聞かない」と言われました。住宅はハレの場の消費なので鷹揚に構えなくてはいけないということだと思います。住宅をめぐる現実は、新築市場が縮小して工務店が厳しいというようにとても暗いという話が繰り返し出たのですが。厳しいなかでこの複雑さを維持すべきかというのがひとつの大きな論点だったと思います。松村先生のお話は住宅産業もそろそろ普通の産業になりなさいとおっしゃっているのかなと思いました。もしかしたら複雑であることが許されなくなっていると示唆されたのかなと思いました。複雑さや特殊性は十分確認されたけれど、次の一手を考えるときにはそれをそのままにしてはいけないということなのかな、というのが私の印象でした。

松井剛氏


松村秀一──今日の話は、住宅産業を開いて普通の産業になっていくという話だと思うのですが、一方で新築はなくなると言いいましたが、この話をするときには新築がなくなるという筋で話をすることにしています。新築がなくなるといっても、半分になって60万戸ぐらいはまだ建てるわけです。僕は最近「小旦那」という言葉を盛んに使うようにして流行らせようとしていますが、小さい旦那で「小旦那」。注文住宅はそもそも旦那仕事でした。今の住宅の商品としての特徴は高度経済成長期につくられたもので、旦那ではない一般の人が施主になって建物を建てるときにはパッケージしないと対応できません。それまでの旦那は細かいことを言わずにプロジェクトを経営していくというスタイルでしたが、庶民が旦那みたいなことをするようになると、実力がないからパッケージにして全部つくることになり、それがより複雑に組み合わされるわけです。今までは小旦那でもなく単なる消費者だけれども、ここから先は家を建てるという行為はやや戦前あるいは19世紀的な旦那っぽい気分で建てる。お金をかつての旦那より持っていない小旦那が家を建てようとする。家を建てることがそのようになると、今までのようにパッケージが複雑になることは通用しなくなり、建築家が小旦那と話し合いながらつくっていくという需要が増えると思います。つまりこれまでの住宅の特殊性は崩れて、違う高みに達するあるいは昔に回帰するという予想を立てています。そうなると巨大な住宅メーカーなどは小旦那にはうまく適応できなくて、小旦那にはむしろ小さい、ある種のアイデンティティのある相手が必要になってくると思います。

松井──そうすると、小旦那からは建築市場では今後も住宅は複雑な商品であり続けなくてはならないわけですか。

松村──小旦那は内実は見えなくてよいわけですから、複雑でも簡単でもよいわけです。小旦那というのは旦那気分だから、極端な話「山本さんが描いた線は1本100万円」と言われたら「そうでしょうね」と納得するのが小旦那で、もう価格構成も問わないという需要がある量で出てくると思います。

山本──建築家が小旦那から仕事を請けるストーリーの場合果たしてわれわれ建築家が小旦那を小旦那として扱えるのかと考えると、それができない建築家は結構いるわけです。それで吉池先生が住生活エージェントが必要だと言われたと思うのです。その場合住生活エージェントというのは建築家という職能の切り分けです。ひとつの職能が切り分かれて、チームが形成される。ものができることを窓口としてうまく説明できる人が吉池先生の言う住生活エージェントのイメージだと思います。もちろんスキルの高い建築家は全部でき、きっちりニーズに応えて信頼を得ます。日本の住宅市場はかなり大きいのですが、その供給に応えられるだけの建築家がいるかというと、チームとしての形態を含めたとしてもその数は足りていないと言えると思います。一方で危機に瀕しているつくり手側である工務店は、ネットワークとして違う形で工務店ができていく。だから建築がパッケージ化されるのではなく、業界がパッケージ化されていくのではないかというイメージを持っています。

PREVIOUS | NEXT