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FORUM No.04(2006.12.7)

遠藤和義
工務店ビジネスとホームセンター型建材流通の可能性

SESSION02

工務店の誕生と変遷

松村──注文してモノをつくっていること自体が特殊です。例えばマンションを3500万で買ったときに、土地代が本当にいくらで、建設費がいくらで、そのときゼネコンが経費をいくらとっているのかは誰も知らないけれど、3500万で買う。テレビを買うときでも、それでソニーがいくら儲けているのか、経費はいくらなのか、ジャパネットたかたはいくらもらっているのかということは気にせずに買ってしまう。しかし注文住宅は、もともとは旦那しかつくらなかったから、口を出さなかったわけです。つまり旦那が直接経営していて、自分で大工を雇ってしまう。富山の工務店主が、戦前まだ大工の修業中だった頃は、旦那のうちに朝工事しに行くと朝ごはんが出てくると言っていました。朝飯、昼飯も出て、晩にはちゃんと晩酌がついて、それで日当をもらう。さらに10時と3時には必ずお茶が出る。それで朝は「ただいま」と言って、自分の家に帰るときには「行ってきます」と言う。つまり、そこの家の者だということになっていたわけです。そこまでの人だけしか注文住宅ができなかった。それが戦後注文住宅の文化が庶民に移行したわけです。そこが日本の特殊なところで、移行した途端に施主は旦那ではなくなって、実力のない施主がたくさん出てきて、それを受ける請負い、大工ではなくて工務店の請負い業が生まれたわけです。

松村秀一氏


松井──その変化は工務店ができ上がることで生じたのか、それとも施主のニーズが変化したのか。旦那ではないのに旦那になりたいという、消費者側の変化ですか。

遠藤──そういう層が戦後出てきて、それに対してサービスをする側として、それまでとはまったく不連続な大工・工務店という新しい商売が始まったと思います。それがメンテナンスされないまま、現在ほぼ寿命を終えるところになっている。

松村──大工のつもりでやっていたけれど、工務店になった瞬間にビジネスとしてはまったく違うものになったわけです。ところが自分たちは大工のつもりでやっていて、お客さんも大工のつもりで頼んでいる。けれども工務店になり、それまでは手間賃で払っていたのが請負になった。住宅金融公庫は請負でないと金を貸さなかった、昭和25年以降、住宅金融公庫は総額がわからないから直営でやっているところには金を貸さなかった。総額が「一式請負で1000万円です」とはっきりわかると住宅金融公庫はお金を貸す。だから金融も結びついているわけです。金融は請負でないとお金貸さなかったからです。それでみな工務店になってきている。

松井──このシステムができ上がったときに金融とも結びついているわけですね。

山本──金融とも結びついているということは、国策的にそういう形で持ち家を持たせるという流れと完全に一体化していたということですね。

遠藤──以前、金融公庫に、DIYで部材を買って住宅を建てる人にお金を貸す可能性はありますかと聞いたところ、現状は無理だ、なかなか難しい、という返事でした。やはり躯体部分については考慮しても、設備の部分は少し自分でやるというのは、完成検査などありますから、それとはまったくそぐわない。だからドイツやアメリカのような半完成の住宅を、銀行からお金を借りて自分で好きなようにつくっていく楽しみというのは日本ではないです。

山本──建築基準法上、内装制限や建物の中身に関する規定が詳細に決められていて、すべて行政確認を受けなければいけない。厳密にいえば、完成検査後に勝手にキッチンの位置などは動かせないはずです。

松村──インドネシアの住宅を研究をしている人と話していたら、インドネシアで今住宅が何戸建っているのかわからない、何故ならそういう統計がないからだと言っていました。何故ないのかというと、完成という概念がないらしい。窓がなかったけれど翌年お金ができたから窓をつけるという形で、最低限のところから始まって、増築したりして住宅が常に変わっているからです。日本の場合は完成と未完成という状態が明確にあって、完成したら一戸建ちましたということになる。それを役所が検査して認めて、不足してまずい状態を法律上取り除かなければならない。

山本──基準法をはじめとした行政の過剰な親切さは、戦後、何とかよい住環境に住まわせたいというところから始まったはずです。例えば住宅金融公庫はいまだにそうですけれど、お金を借りるためには何平米以上の住宅としなければいけないという規定があります。都市型の狭小住宅が流行っていますけれど、面積的に住宅金融公庫から借りられないことも多い。とにかく昔考えられた健康で文化的な暮らしをするために家を建てなさいということがあって、建築基準法では、このくらい以上窓がないといけないとか、最近ではシックハウスとの絡みで機械換気をこれだけとりなさいとか、本来そんなものは個人の自由だとは思うんですが、一個人の生活にしか関わらないようなものまで全部こと細やかに法律で決めている。この状況では少なくともDIYというのはほとんど成立しないですね。

松村──遠藤さんがおっしゃったように、これからの工務店の生き方として、プレハブではできない様式性を持ったもの、土壁や入母屋御殿などをつくることが考えられます。こういうものを望む人たちは住宅金融公庫からお金を借りないでキャッシュです。工務店が生き残っていくストーリーと社会制度が整合していない。あるいはホームセンターで材料を買ってDIYでやっていこうという動きにしても、DIYで金融公庫からお金は借りれないわけです。標準的な住宅の像を想定して制度ができ上がっているために、違う動きをしようとするとキャッシュでないとできない。工務店が生き残っていく道は、ある種の特異な様式でまとめる仕事だから、部材にバラしたら何にもならないわけで、これを組み立てて住宅にすることにこそお金をもらえる源泉があるとすると、まとめた形やデザインなどある種の様式性で頑張っていくしかない。だから何でもできますという工務店はもうダメでしょう。

山本──特化した何かを売りにしたときに、それが維持できるかどうか。高級な数寄屋などの木造建築をつくられている水澤工務店さんは、水澤には世界に誇れる職人さんがたくさんいるけれど、その人たちが腕をふるうチャンスが少ないとおっしゃっていました。技能選手権で日本一になった左官屋さんもいるけれど、彼の技能を完全に発揮できる仕事は年間にひとつあるかないかということでした。それで後進の左官屋さんが育つわけがない。つまりそういう特殊性を売りものとしたとき、その商売を維持するのはものすごく大変なことだと思うのです。

松村──元気な工務店は高断熱、高気密を一生懸命やっていたり、芸能人の家だけを建て続けていたりするところです。安定した自分のフィールドやストライクゾーンのマーケットがあれば、あまり仕事の数は多くなくていいわけです。年間千棟とか百棟建なくても、近所で5棟あればよい。入母屋御殿などは2年に1棟ぐらいでもう十分です。

松井──古典芸能のようにしてスーパーニッチで生きていくことしか、シナリオはないということですか。

松村──新築が減ってニッチ化していて、わざわざ建て替える人や家を建てる人は、かなり旦那っぽくなっていくと思う。こういう傾向を「小旦那」と呼んでいるんですけれど。

遠藤──都心の狭小敷地でものすごく凝った住宅をつくりたいと建築家に頼む人は、うるさいことを言うけれど旦那趣味です。

松村──小旦那の比率が増えているために、大手の住宅メーカーのシェアが落ちていると思います。一方でものすごく安い家が欲しい人たちがいて、とにかく家ならよいということで売り建て御三家やタマホームとか出てきましたが、それが安い層を喰っている。だから工務店は基本的に安いところを相手にしても商売は成り立たない。

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