INAXe`Ze¨O´e´YaΔE´tE´HA°[E´a^E´A¨ INAXE´tE´HA°[E´a^E´A¨E´VE´a¨A°[E´Y
FORUM No.02 (2006.8.28)

望月久美子
「住生活1000人調査 2006」──住宅像の現在

SESSION05

商品としての街並み

松村──望月さんも不思議だとおっしゃられていたけれど、「街並み」や「地域イメージ」が大事だというのは、どのようなことをイメージしているのか僕は想像ができませんでした。鎌倉、逗子などが挙がっていましたが、観光地的な街並みがあるにしても、住宅地の街並みということになると皆さんがどんなものをイメージしているのかはっきりしません。どのようなことを街並みと言っているのでしょうか。

望月──賃貸で住む人には関心がないと思いますが、戸建てを買う人にとっては街並みがトップになります。楽観的に見れば住環境に目がいくようになってきたことです。家や住戸といったモノだけを商品化するのではなく、その街の中でどう見えるのかが家に求める要素として考えられているのだと思います。マスコミが街を打ち出す度合いが高くなっているのも原因のひとつかもしれませんが。

松村──それは表参道のような街並みことを指しているのか、どのようなことを街並みと言っているのかわからないのですが。

望月──ごちゃごちゃしたアイデンティティのない、何とも名づけようのないところは嫌だという感覚があると思います。

山本──それは反都市的な傾向のひとつなのですか。つまり東京都心で街並みは誰も期待しないし、今日の統計でも全般的に微妙に反都心的な傾向が多い。そういうトレンドがあるのかと気になったのですけれど。

松村──街並みといったときに、物理的な目に見える形や揃い方などの環境を言っているのか、それとも並んでる店、例としては適切かどうかは別として、スタバがあれば街並みなのか(笑)。ある人は神楽坂みたいなものを街並みと言うのかもしれない。具体的に建っているものを建築的に分析していくと小屋みたいなものが建っているだけだけれども、入っている店やそこから出てきたもののスケール感を街並みと呼んでいるのか。住宅地開発で住宅メーカーがやるように、壁面が揃っていて前に緑を植えたというものを街並みというのか、混在していてよくわからない。

望月──対象は居住地なので、単純に家並みが揃ってよい感じで、街路樹があって美しいといった感覚に近いとは思います。

松井──私は街並みが消費財に堕落してしまったというネガティヴな見方をしました。街並みは基本的に公共財で、みなでつくり上げ、コミットをしなければ維持できないものだったのが、自分の家を選ぶ際の選択基準の項目に陥ってしまった。私が勤めている大学がある国立はイメージがよいみたいですが、国立には住みたいけれど国立駅の三角屋根を維持するために何かコミットをすることはないと思います。自分の家の背景や自分の家に至るまでに目に触れる光景を消費の対象として考えているので、それがよければよいイメージです。それはいろいろな雑誌がそうイメージさせているのではないかと思う。

望月──まじめな話しをすると、社会的に良質なストックが成立する条件として街並みが重要です。そうしたとき、先ほど再生産システムが問題だと言われましたが、そこには街並みが商品化されていくことも入っています。そして本質でない部分で街並みが言葉としてひとり歩きしています。それは与えられるものではなく、つくっていかなくてはならないものです。自分が守っていくという意味で住まいはまさしくその本質です。同時に街並みという言葉が出てくるのは、住まいが自分ひとりのものではなくて、家が建った途端、道に対して顔を出したところから、公共物、社会性のある存在になるはずなのに、それが単純な商品になっている。そういうシステムができ上がっていることが大きな問題で、本質的に自分が一体どのような暮らしがしたいのか、そのために必要な住まい、コミュニティでの役割への意識が、家がモノ化してしまっている現在では、形成されていない。そう意味で住まいに関して、われわれを含めて貧弱な体験しかしてない。自分がこういう暮らしがしたいと考え、それを実現できているかと思ったとき、モデルもないわけです。そういう根源的な問題があると思います。

PREVIOUS | NEXT