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FORUM No.02(2006.8.28)

望月久美子
「住生活1000人調査 2006」──住宅像の現在

SESSION04

統計結果をどう商品に反映させるか

山本──望月さんに質問です。こういった統計を商品開発に結びつくマーケティングという意味も含めてやられていると思うのですが、この統計の結果からどうしていくかというところで、2つの方向性があると思います。まずこの統計に応じた商品開発をして商売をするという考え方がひとつ。もうひとつはこの統計の結果を、なんらかのかたちで変えていこうという啓蒙活動、あるいはコマーシャル活動なのかもしれないのですけれど、そういう考え方。その2つの方向性があると思います。前者は比較的わかりやすいストーリーですが、後者、例えば望月さんが統計の結果をご覧になって、もっとこうしたいとお考えになることがあれば聞かせていただきたいのです。質問の選択肢をつくられた側としてはどうなるのが理想なのでしょうか。例えばきれいに横一線に均された状態や価値観が平均化した状態がよいのか、それとも伸びてきたところをターゲットに商品をつくろうとお考えなのでしょうか。

望月──実際はあまりそういうことは考えていない(笑)。つまり何が理想、ベストかという判断はないと思うのです。だからどちらの方向がよいという考え方はしにくい。ただ市場を開拓するという目で見たときに、変わりたいと思ってもモデルがないので、いろいろな選択肢を提示し、それに対して商品化の手続きをする。また暮らしのイメージも形成されていないので、市場の掘り起こしや開発の余地としてはあると思います。今まで50代というのは「上がり」で、住宅市場ではせいぜいリフォームぐらいと考えられているのですが、それだけではないわけです。もう少しポジティヴに自分の暮らしを変えるという意味で、住宅をツールとして考えるという考え方にもっていけると幸せが増えるだろうし、それは商売も結びつくと思います。だから家は、自分の生活をより幸せにする道具としてまだまだ使える、こういう暮らし方もあるということが引きだせればよいと思います。

山本──家を購入する点では低い位置にいる50代にマーケットを見出しているという意味で言うと、田舎に住む志向だけではなく、それ以外の選択肢、こんなところやこんな形式の暮らしもおもしろいというものを提供していく考え方もあるかもしれない。それはみなさんがきっと認識していない価値です。

望月──そういうことはあると思います。だから住宅がツールだと考えた途端に、単純に田舎暮らしというステレオタイプな物言いではなくて、そこにある本質をモノとして表現し直すことはできるかもしれない。
もうすこしミクロな視点で話をするなら、例えば建築的なところで言えば、自然志向も家の中で表現できるはずです。それによって、高気密高断熱のように装置的になっていく家に反発しているかとか、自然との親和感からは離れているものから逃れたいという潜在的な思いが強いわけだから、家づくりも新しい需要をつくり出すことができるかもしれない。夫婦別住まいにもヒントがあって、コレクティヴ・ハウジングという形をとらなくてもそれに近い住まいができるかもしれない。そういう工夫はあると思います。

松村──昔の日本の集落にも分棟形式というものがあり、親子世帯が一緒に住むのではなく、ある年齢になると分棟に住むという伝統が地域によってはあります。そういう住居の集合形態も変わりうる。
役所の住宅関係の委員会には経済関係と建築関係の人が出ている場合が多く、昔は建築の人しかいなかったのだけれど、最近は経済の方の発言力が強い。そして経済の人は建築の人に対して「あなたが決めることではなくてマーケットが決める」と言う。望月さんもおっしゃっていましたけれど、賃貸に住みたい人が面積帯ではこの辺しか求めてないということは、逆に供給がそうなっているからであって、委員会などで「もう少し広い賃貸があってもよいのではないか」と建築家は言っているわけです。そうすると、「広い賃貸が欲しけれがマーケットがそう動くから、計画的に手を打ったりする必要はない」と言われる。でもそうすると、供給されていることがニーズに現われ、それに対応して供給していくから、思っている方向と違うほうに収斂していく市場メカニズムがあります。建築を考えている人たちは、建築はこうあるべきだ、みんなこのように住んだらよいのにということを考えるように教育されています。そうなると、具体的な住宅や建築に落とし込むときにマーケティングの結果を受けた形でやるのか、建築として満足できないからこういう提案をすべきなのかというところがなかなか決めにくい。

山本──建築は基本的には再生産が繰り返されています。建築空間は人に対する強制力が強くて、例えば生まれたときから住んでいたような家が一番住みやすいと思い込んでしまう。それでまた同じようなものが再生産される。そしてそのシステムが円滑に繰り返されやすいように法制度ができる。都市計画的な形態制限だけではなくて、家で言うならば日照や換気、シックハウス、高気密高断熱の問題もありますが、これらを法制度で決めるということ自体、果たして誰がそれがよいと保証するのかと思います。都市を含めたモダンなライフスタイルも、1900年前後にモダニストたちがそういう空間をつくった大変革のあと、それがまた固定されて再生産されているという歴史にすぎないわけです。そう考えると、このような統計結果に応じて商品開発することはまさにその再生産のシステムに乗った思考停止にほかならないのではないかと思います。松村先生がおっしゃったように、建築家と経済的な立場にいる人の意見が完全に分かれ、棲み分けが起こると、建築家のお客さんは通常のマーケットに満足せず、土地を買って一戸建てを建てようという非常にリッチな方だけになってしまう。建築家が再生産システムを逸脱した建物を作ることが、どんどん特殊な事例になっていってしまいます。

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